神々の山嶺 | Man is what he reads.

神々の山嶺

 山に関する本が好きだ。とりわけヒマラヤやアルプスといった高峰登山に関わるものがいい。山岳小説、ライターによるルポ、そして登山家自身による記録。様々な形態のものを読んできた。

 

 高峰登山には、面白い読み物の要素が溢れている。

 例えば、対照。人と何か、人と人。比較することで、それら比べられているものの輪郭が際立つ。輪郭が明瞭になることで、その内部に目を向けられるようになり、細かい描写が可能となる。細かい描写は、読者の想像力を刺激し、比較対象の間にある隔たりを実感させる。隔たりとは、ギャップのことである。


 虚空に向かってそびえる巨大な塊。岩と氷と雪。高峰が連なる山脈は、ただ風のみが通過を許された世界だ。そこをよじ登ろうとするクライマーは、ただの黒い点でしかない。物言わぬ巨大な塊と物思う小さな存在との対峙。まさに対照である。そして、そのちっぽけな存在が頂上に立つとき、読者の意識の中で両者の隔たりは最大になる。非日常の出来事は、起ったときにこそ、その非日常性を実感するものだ。近年は、無酸素、単独、厳冬期とクライマーを死に誘う形容詞無しでは高峰登山が成り立たなくなっており、そのギャップは益々大きなものになっている。


 しかしながら、登山読み物の面白さ、その本質は人間と山との間には無い。人間そのものにあると私は考える。

 高峰のような極限の環境においては、人間が人間である理由、それ自体に向き合わざるを得ない。

 人間が人間である理由とは何か。デカルトは、「われ思う、故にわれ在り」と言った。

 人が何かを思う時、本能だけでなく様々な感情が混ざる。感情には、瞬間的なものよりも積み重ねてきたものが反映される。刹那の感情も、私たちが日々を送る中で重ねた経験から生まれる。われ思う時、その足元には当人の人生そのものが横たわっているのだ。故に人の思いはどろどろと粘り気のあるものになり、それを感じ取った他者の心にまとわりつく。身体にへばりつく、雨後の衣服のような感覚を覚えながらも、私たちはその思いを否定できない。それが人間そのものだからだ。


 高峰を登攀する登山家は、デカルトの言う人間そのものである。日中は死と隣合わせに稜線を漸進し、岩壁を攀じ登る。夜は、冷たく閉ざされたテントの中で風の音に怯えながら、自らの内から湧き上がる感情、思いと向き合う、そんな環境に進んで身を向ける登山家とは─。


 無論、当人でなければその真意を知ることはできない。しかし、綿密な取材と人間観察、精密な描写力に基づく本たちによって、他者はその辺縁に触れることができる。そして彼らを通じて、人間が人間である故を感じるのだ。


 実は、私は登山をやらない。そんな私を登山家に惹きつけた本たち。

 どれも面白いが、特に夢枕獏氏の「神々の山嶺」はお勧めだ。


 20世紀初頭、世界初のエベレスト登頂を目指し、8000mを超えた先に消えた英国人登山家ジョージ・マロリー。彼が初登頂したか否かは未だに論議されている。物語は、山岳カメラマンである深町誠が、ネパールでマロリーが所有していたものと思われるカメラを偶然手にするところから始まる。山岳史最大の謎を解く鍵を巡って、錯綜する人間の企み、そこに現れた伝説の登山家羽生丈二。彼もまた、エベレストに取りつかれていた。彼を掻き立てる好敵手長谷恒雄。一匹狼で、変わり者と揶揄される羽生。爽やかな人柄で周囲を惹きつける長谷。大きな挫折をし、表舞台から姿を消した羽生と舞台で輝き続ける長谷。どちらも伝説的クライマーだが、対照的な人間だ。マロリーの謎解きとエベレスト登頂という二つの勲章を巡って、複雑に絡み合う心のうねり─。


 名作である。


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神々の山嶺 1 (集英社文庫―コミック版 (た66-1))/谷口 ジロー