自爆する若者たち | Man is what he reads.

自爆する若者たち

自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来 (新潮選書)/グナル ハインゾーン
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少年はいつも何かに駆り立てられていた。
何かをしなければならなかった。
「それ」が何か少年はまだ知らない。


ふと、教室を見回す。
たくさんの敵がいる。少年の世代は人数が多い。


青年に成長し、少年は大学へ進んだ。
同世代の中では1割余しか選択できない道である。
「それ」を成さねばならない想いは強くなった。
青年は特別だからだ。


社会に出るとき、眼下には暴動に明け暮れる人々がいた。
経済は最悪だった。食い扶持に困る人がたくさんいた。

数少ない居場所には、勝ち残った前世代が居座っていた。
居場所闘争に敗れた前世代から青年の同胞たちは疎まれた。
一方、椅子を守る方も必死である。
表と裏、合法と違法、使い分けながら堀を築いてゆく。


居場所を求めて争いは激しくなっていった。


暴力のうねりの中、青年にだけ見えているものがあった。
「これだ!」
少年を駆り立て続けた「それ」を見つけた青年が言葉に変換したとき、暴力はうねりから渦になった。

やがてその渦は国境を越えることなる。


渦の中心には、少年がいた。


“Youth Bulge"



 訳者によれば「過剰な若者人口」である。著者によると男性人口100人につき15歳~29歳までの年齢区分の人口が30人以上となったとき、人口ピラミッド上にこのYouth Bulgeの存在を示す外側への膨らみが現れるという。つまりもっと正確に表現するならば「多すぎる青年人口」と言うべきだろう。著者はこの15歳~29歳までの年齢区分にあたる男性人口を軍備人口と呼び、彼らの居場所を求める野心が世界を不安定にすると警鐘を鳴らしている。


 事例を見てみよう。壮大なものでいうと、1400年代末から始まった、いわゆる魔女勅書による産児調整の禁止に起因するヨーロッパにおける人口爆発とその後の世界進出がある。1900年初頭までヨーロッパにおける軍備人口は増加を続け、主体となる国は代わる代わるであったものの事実上世界を制覇した。

 

 次に現代に目を向けてみる。本書にて今Youth Bulge状態にあると指摘されている国々を全て列挙する。パキスタン、イラク、グアテマラ、スーダン、アフガニスタン、エチオピア、コンゴ、イエメン、ウガンダ。その内情をみると騒々しい面子だ。極めつけはガザ地区も該当することである。

 

 もちろん著者も認めている通りYouth Bulgeの存在それ自体が原因となる訳ではない。経済不安や歴史的な劣等感が絡まったときにYouth Bulgeは「居場所」を求めて共鳴を始め、世界に脅威を与え始めるのであろう。そうでなければ日本の例が説明できない。

 

 その例とは団塊の世代のことだ。数の力を持つ自他ともに認める闘争の世代である。彼らのうち、ごく一部のエリート、つまり大学進学者たちはベトナム戦争や安保改定を材料に過激な学生運動を展開し、最後には分派に別れ内ゲバ化を著しくし内部で争った。またその他の者は早くから社会に出て高度経済成長の礎となった。エリートたちの運動が社会に大きな影響を与えたのは事実であるが、当時既に高度経済成長にあり、また1972年には沖縄が返還されたこともあって国全体を巻き込む材料を欠いていた。しかし仮に経済が成長どころか低位に留まり、しかもアメリカの外交が独善的なものであったらどうだろうか。食い扶持と名誉という欲求を材料として得た彼らの活動は、国民全体の支持を獲得しさらに過激になるであろう。そこにはヒトラーのような「選ばれし者」が出現する可能性すらある。

 

 冒頭の少年の話はこの仮定を空想したものである。今中東、西アジアで流されている血はけして他人のものではない。テロ、という手段が一般化した今、次から次に対アメリカの戦火へ身を投じる少年の列について考えることは、我々の子孫ばかりか世界全体に平和をもたらす為に不可欠なことなのだ。鍵となるのは経済である。Youth Bulge全体に居場所をもたらすのは経済しかない。また経済発展が出生率を押し下げることは先進国が証明している。そしてその土台として教育が必要だ。ここでいう教育とは「教え、指導する」というより、情報伝達、情報共有という意味合いで言っている。暴力によらずとも居場所を造れるのだということを伝え、そしてともに実現してゆかねばならない。

 

 残念ながらイスラム教への信心と積年の恨みを持つ人々にどのようなアプローチが適しているのか、今私には具体案を考え出すことはできない。またこのような甘っちょろい話ではないことも理解している。だが、ただ座すよりはせめて考えくらいは巡らせ続けなければならないと思っている。