前回の那須岳の説明の中に、「殺生石」のことに触れましたが、那須町の観光名所の一つとなっています。
「殺生石」は、那須温泉地区にあり、このスポットは、那須神社、鹿の湯、殺生石と3か所の観光スポットがあります。
『殺生石』 (説明、那須町の観光から)
殺生石は那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川にそったところにあります。大昔、中国やインドで悪行をつくした「九尾の狐」伝説にまつわる史跡です。狐が化身したといれる大きな岩の
周辺では、今なお独特な硫黄の香りが漂っています。 また、俳人松尾芭蕉もこの地を訪れ「奥の細道」には、「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す。」と書き、次の句を詠んでいます。
石の香や 夏草赤く 露あつし
国指定名勝「殺生石」
※殺生石は「おくのほそ道の風景地」の一群をなすものとして、平成26年3月18日“国の名勝”に指定されました。
『九尾の狐』 (説明、那須町の観光から)
平安の昔、帝(みかど)の愛する妃に「玉藻の前」という美人がいたが、これは天竺(インド)、唐(中国)から飛来してきた九尾の狐の化身でした。帝は日に日に衰弱し床に伏せるようになり、やがて、陰陽師の阿倍泰成がこれを見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治したところ、狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼしました。やがて、源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残ったと言われています。その石が「殺生石」と伝えられています。
九尾の狐は、中国から伝来しています。
春秋戦国時代から秦・漢期(紀元前5世紀~3世紀)にかけて編まれた神話的地誌『山海経』(せんがいきょう)にすでに神獣として登場するそうです。
「九尾の狐伝説」は、語り部の舞と太鼓が有名で、旅館などでも催し物としても開催されている。
(下記、引用:
また、「玉藻の前」と「白面金毛九尾の狐」は浄瑠璃や歌舞伎の人気演目だったそうです。
この浮世絵は歌川国定による名画で、「玉藻の前」が陰陽師安倍泰成に正体を見破られ、まさに那須へと逃げる瞬間を描いたものとされます。
三国伝来の妖怪が「玉藻の前」に扮し、宮中に潜み亡国の悪業を企ていましたが、陰陽師・安倍泰成(安倍泰成は安倍晴明の子孫)に正体を看破され「我は野州那須野原に走り去らん」の怪語を残し空高く舞い上がるのを描いたものだと推測されます。
私も、以前、那須旅館 山楽 に宿泊したときに、庭園で語り部を聞いて、「九尾の狐伝説」について、知りました。