令和四年、時代の転換期の真っ只中です。

年末年始、ほとんど本を読んでいたので、

昨年より更にお正月感がありません。


というのも、昨年後半は神道について調べた時期はあったにせよほぼ昭和時代しか学習しなかったので明治・大正をしっかり学びたかったのです。


とはいえ、数日ではやはり学び足りませんでしたが…

そこで再確認した事があります。

そもそも気付いてはいましたが、

明治後期から先の大戦までの流れが

やはり令和現代の流れとよく似ているのです。


しかも現代に於いては情報戦や

金融支配がより主流になり、一般の我々が直接の危機感を感じにくく、よりタチの悪い攻防戦になっている。


むしろ、攻も防も当時より隙だらけの状態です。


兎にも角にも「何故先の大戦に至ったか」を

もう一度、国民がしっかり大反省会をすべきです。


日本の何が悪かったか?

日本の何が後世に誇れるのか?


毎年8月になると各メディアで繰り返される

「どこどこでの戦闘は悲惨だった」とか

「日本は中国に対し非道の限りを尽くした」

というのは反省でも何でもありません。


戦闘はそりゃあ悲惨です。

人と人が全力で殺し合うのが戦争ですから。

当時、中国という国はありません。

中国は1949年10月1日に建国された国です。

戦前は世界中からChina(支那)と呼ばれていたし、

争ったには争っただけの理由があります。


こういう話をすると

必ずと言っていい程、人々は口を揃えて言うことがあります。「戦争だけは嫌だ」です。


確かに、現代では武力対武力の戦争に双方のメリットがほぼ無くなりましたから戦争は起きないかもしれません。


ただ「戦争だけは嫌だ」と言うのであれば

親や学校や社会に責任をなすりつけるのではなく、

〝何故、戦争は起きたのか〟を学ぶべきではないでしょうか。


今後の日本の展開として、

「戦争やむなし」という展開も無い訳ではないでしょう。

単純な話として、一方的に攻められた場合、

ただ黙って殺される訳にはいかず、

また、一方的に領土侵略をされた場合

遺憾の意を示すだけでは駄目な場合もあるでしょう。

その時に国内、または他国が武力を行使する意味を

わかっているのといないのとでは民間としての対処も全く変わってきます。


先の大戦の反省を一つ挙げるなら

当時の国民の多くは「何の為の戦争か」

また「真の敵は誰なのか」これを全く理解せず

軍民合わせて310万人の命を失い、

日本中が焼け野原になりました。


そして、繰り返しますが、

小さな子供からお年寄りまで

数百万の尊い命を失っても

何が良くて、何が悪かったのかを

76年もの間、深い刷り込みがあったにせよ

ほとんどの日本人は考えなかったのです。


きっと何人かの方は

ここまで読んでも、いいや天皇が!

陸軍が!政治家が!アメリカが!と。

誰かのせいにする方がいるでしょう。


では良かった点は何だと思いますか?

先の大戦とは国内外の社会主義・共産主義者達の暴力革命の為の謀略と国際金融資本のビジネスの為の戦争です。

それを末端の兵隊さんはアジアの植民地解放の為、アジアの安定の為、

家族や仲間、

大切な人を守る為、

日本を守る為に、

食べ物も満足にない中で顔を燃やされ、銃で撃たれ、海に沈められながら必死に我々子孫の為に戦ってくれたこと。


終戦の詔発表直前の8月15日早朝ギリギリまで日本全体の生存の為に戦ってくれた畑中少佐や椎崎中佐始め多くの軍人さんがいたこと。


数千万の国民、今後の世界戦争の常識が

核戦争になるのを拒み日本が泥を被る「終戦」という選択をされた昭和天皇のご決断があったこと。


そして、何とか皆んなで我が国を守るんだと

子供や旦那が戦地に向かうことを

歯を食いしばって耐えた女性達がいたこと。


この四つはせめて誇りましょうよ。

この四つは世界に誇れることだよ。


〝先の大戦に至る道筋〟

〝先の大戦から見える希望〟

この二つを知る事によって

〝令和に残された歪み〟

これが見えてくる。


様々考えましたが、やはり

我が国に於いて、我が国を守ろうと思ったら

先の大戦前後を知る事です。


何故なら、当時も今も

〝人を殺す事もビジネスの一つでしょ〟

〝主義の為なら戦争だってするよ〟

と思っている連中は変わらないからです。


時代を変える、前に進める事は必ずできます。

そういった連中から家族や大切な人達を守ることも必ずできます。

古い言葉で言えば草莽崛起です。

一般人が戦略を学び、立ち上がることです。


難しくないです。

わからなければ、何処へでもお話ししに参ります。


最後までお読み頂き有難うございました。