『運』

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こんにちは、最後のブログを担当します。中田舜貴です。

日頃より関東学院大学サッカー部へのご支援ありがとうございます。
サッカー部OBOG会の方々、学校教職員の方々、ホームゲームを運営してくれる部員、マネージャーなど多くの方々に支えられ1年間戦うことができました。本当にありがとうございます。
初の1部での戦いということで、多くの方が期待し、応援してくださったと思います。しかし、なかなか思うような戦いができず、苦しい1年でした。
結果は1年で2部降格
自分たちは弱かったです。セットプレーでよく失点する、大敗がある、惜しい試合をしても競り負ける、弱いチームの典型でした。
状況を変えたくてミーティングをしたり、4年生で何度も「自分たちがもっと頑張ろう」と話をしてきました。しかし、状況を変えることはできませんでした。めちゃくちゃ悔しいです。
サッカーは勝ち負けがつくスポーツで、みんな勝つために努力します。勝ったものの方が得られるものは大きいです。ただ、負けた方にも得られるものは必ずあります。久々に勝利した流経戦、ただの1勝だけど、チームがすごい変わりました。練習の雰囲気からみんなの表情まで。勝つことがこんなにチームを変えると知りました。これも負けが続いていたから気づけたことです。悔しくて苦しいシーズンを過ごしたことを、絶対にこれからの糧にしなきゃいけない。これからの行動でこの1年が必要だったと思えるようにしたい。残された少ない期間をこれからの関東学院のためにも、自分のためにも、全力で過ごします。
1年間本当にありがとうございました。

サッカーの話ばかりしても暗くなってしまうので、違う話をします。

僕は眼球の怪我をしたことがあります。この怪我を通していろんな人に出会い、いろんな経験ができたので、その話をしてみます。
長くなりそうですが頑張って読んでください。

去年の1月、新チームが始動して2週間目の週末の紅白戦。2年から3年に上がるタイミングでめちゃくちゃに気合いが入っていました。その気合いが空回りしたんでしょうね。自分が蹴ったボールが目の前の相手に当たり、左眼球めがけて飛んで来たんです。一瞬で目の前が真っ暗になりました。
「目見えん!目見えん!ほんまに見えん!」
何回も言って騒いでいた記憶があります(笑)
救急車を呼んでもらい、病院へ向かいました。そこで診てくれた先生がよく分からないんですけど、
「この病院あんまり来ないんで慣れてないんですよね」
とか言いながらいろんな引き出しを開けたり閉めたりして、
「出血がひどくて詳しく見えないから、また明日来てください」
と言ってきました。
どこに何が入っているかも把握できていない先生にそんなことを言われ、超不安でした。
次の日同じ病院に行ったら20代?くらいの若めの先生が診てくれました。
「出血で中まで見えないから1週間後に来てください」
1週間後病院に向かいました。
「まだ出血がひどいから1ヶ月後に来てください」
左目はほぼ見えていませんでした。明るさは見えていて全体にモザイクがかかっている感じ。
その状態で1ヶ月安静はさすがにおかしいだろ?と思いました。病院に行くたびに奈良監督に報告していたのですが、奈良さんに元ボクサーのご友人がいるらしく、その方に医者を紹介してもらえることになりました。井上尚弥さんのチームドクターも務めたことのある医者で、今度こそ怪我の状態がハッキリ分かるはずだと思いました。奈良さん、ありがとうございました。
病院は横浜にあるボロボロの小さいビルの1階にありました。本当に病院があるのか?と疑うほどボロボロで、さらに不安が大きくなります。病院の中も変で、待合室から他の患者さんの診察が見えるんです。先生はめっちゃおじいちゃんで少し怖い見た目でした。この先生が看護師さんに対して患者の目の前でめちゃくちゃブチ切れてるんです。完全にパワハラでした。やべーとこに来たな、そう思いました。順番が来て診察が始まりました。ちょっとビビっていた僕はいつもより少し良い姿勢で先生と向き合います。すると、僕の腕の位置が気に入らなかったみたいで、膝の上の正しい場所(そんなん知らん)に直されました。状況をイメージしづらいかもしれませんが、実際に腕の位置を修正された僕自身もいまだに何がダメだったのかは分かりません。ただ、堅くて真面目な人なのだろうなということだけ分かりました。意味は分かりません、パワハラするし。
先生が言うには、眼の状態が良くなく、この病院にある器具では手に負えない状態でした。
話していくと先生は自分が神奈川県の眼科のトップであるみたいなことを言い出して、1番腕の良い医者を紹介してくれることになりました。眼科のトップ?とりあえず先生にはお礼を言って支払いをしようと受付に行くと、受付の方にお代を払わなくていいと言われました。紹介してくださった方のおかげもあって、怖かったおじいちゃん先生がサービスしてくれたんです。
「優しいんかい!」
ってツッコミたかったんですけど我慢して、お礼を言いました。パワハラはするのに。
後日、紹介してもらった医者に診てもらうために大学病院へ向かいました。
そこの先生は、圧倒的な落ち着きと分かりやすい説明で僕に安心感をくれました。そして、「外傷性黄斑円光」と言われました。眼の奥にある中心部の黄斑という部分に穴が開いてしまう怪我らしく、同時に網膜剥離も起こしていたため、放っておくと失明するからすぐに手術が必要とのこと。
「失明するんかい!」
って1か月待てと言ってきた先生に言いたいですが、我慢します。
1月末の診察で出血が多いから1か月待つように言われ、2月の3週目に手術でした。セカンドオピニオンって大事ですね。
そして手術。これがめちゃくちゃ怖かったです。手術台で横になったらすぐに先生が来て、太い針の麻酔注射を下まぶたにぶっ刺してきます。麻酔が効いたら手術開始。うっすらしか見えませんが、3本の細長い棒が眼に向かってきます。超怖かったです。そこからは目の前が真っ暗に(物理的に)。手術は成功しましたが、術後すぐに眼帯をつけるため、見えるようになってるかわかりませんでした。ここでもまだ怖いです。眼帯を外した時は、光を感じられて安心しました。
術後の経過観察ではきれいに治っているみたいで、手術前に1.0まで戻ることはないと言われていた視力は、今では1.0まで戻りました。
ここまでの登場人物みんなのおかげです。失明するかもという状況から治って本当によかったです。
おじいちゃん先生のところで今も定期的に検査してもらうんですが、その時はしっかり膝の上に腕を置いて受診しています。毎回、看護師さんに対して先生はブチギレています。パワハラです。

長々話してしまいましたが、これが怪我をしてから手術するまでに起きたことのすべてです。なかなかできない経験だし、22年間生きてきた中で1番衝撃的で怖い思いをしたのでしっかり読んでください。よく分からないところがあったら言ってください。ちゃんと説明します。

この経験を通しても、今までの経験すべてを含めても、自分には運があるような気がします。それは、必要な人と出会う運です。
小学校の監督と高校の監督が兄弟だったり、キャプテンをやるか聞かれて断ったのにキャプテンを任してくる人がいたり、ちょっと変な先輩に連れられてヨガをやったり、あげだしたらきりがないのでこの辺にしますが、いつも必要なタイミングで必要な人と出会っています。運でもあり、自分の能力でもあると思っています。もしかしたら、ただ物事をポジティブにとらえるポジティブ野郎なだけかもしれませんが、今まで出会った多くの人について、出会って良かったと思ってます。そういう方々への感謝の気持ちを忘れずに生きていきます。

ここで、感謝を伝えたい人がいます。
たくぞー(伊藤琢磨)とこうた(高橋功太)。この2人がいないと関東学院サッカー部は成り立っていません。マネージャーとしての仕事はもちろんしっかりこなしてくれるし、自主練に誘っても嫌な顔を1つもせずに付き合ってくれる。朝練に行って2人がいればなんか安心するし嬉しかった(もしかしたらちょっときもいこと言ってるかも笑)。ホームゲームは選手より早く来て運営してくれる。アウェイゲームでは応援団の先頭に立って応援してくれる。応援で声を出してくれる2人を見て何回も泣きそうになった。二人のために1試合でも多く勝ちたかったし、喜んでほしかったけどなかなか勝てなくて申し訳ない。2人には本当に感謝してます。ありがとう。

最後に、僕には目標があります。プロサッカー選手になることです。4年のこの時期で進路が決まっていないのは、正直に焦ってます。ただ、今まで支えてくれた両親、お世話になった方々にプロになった報告をしたい。それが親孝行、恩返しになると思うから。とにかく人のため、自分のために直向きにやり続けます。

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも関東学院大学サッカー部の応援をよろしくお願いします。