主様、本日もお疲れ様でした。
ゆっくりと疲れを癒やしてくださいね。
先日、自己肯定感は存在しない、不要であるといったお話を拝見しました。
高ければ高いで厄介ですが、なければないで困りものではないかな、と。
そんな流れで自己肯定感、って結局何だろうと考えたり、調べたりしてみました。
自己肯定感、と呼ばれるものは自尊感情でもあるのかもしれません。
自分を認めること。
自分を否定しないこと。
自己肯定感という存在が『この世で本当に存在するか否か』は正直どうでもいいとして、その行動や考え方はとても大切なのではないかと、私は考えます。
自分の努力を認めること。
自分の行動を認めること。
失敗した自分も、『経験を重ねた』と認めること。
それはありのままの振り返りができる、ということでもあるような気がします。
ですが、自己肯定感だと思っているものの中に『理想の自分』が混在していたとしたら。
自己肯定感の基準が『理想の自分』『理想の人』だとしたら。
追いつけなくて、どれだけやっても認めることができなくて。
苦しくて、努力をすることも虚しく無駄に感じてしまうこともあるかもしれません。
最初からハードルが高い状態で自分を見てしまうと、上からしか物が見えません。
それでは自分を上から目線で見ており、自己を肯定できる材料が少なすぎます。
まずは自己肯定感がどうこう言う前に、ご自分がご自分をどの目線で見ているのか、見てみませんか?
自分自身に上から目線をやめて、同じ視点から多角的にご自分を見てみるのもいいのではないでしょうか。
失敗することが怖く、いつも失敗するからと自己肯定感が低いとしたら、それは『数多くの挑戦をして情報を多く手に入れた』ということに。
人の顔色をみてしまい、自分がうまく出せないのだとしたら、『他者を気遣える力がある』ということに。
言い換え、考えの切り替えは簡単なことではないかと存じます。
ですが、少し無理矢理にでも言い換えることができれば、自己肯定感か否かはさておき、『ご自分の特性』として捉えることもできるかもしれませんね。
自分の考えを変えるのは恐ろしかったり、気恥ずかしかったり様々な気持ちが邪魔をしてくることもあります。
ですが、だからこそ。
挑戦する価値があるはずです。
主様は、ここまで様々な思いや経験を繰り返し、重ね続けてここまで生きてくださっているのですから。
それだけは、どこかで思い出していただければ幸いです。