「川越藩松平下大和守家記録 三 明和九年・安永二年」の安永2年10月9日条に、つぎのような記事がある。
寺尾半作
右者先達而屋敷地被下置、家作可被 仰付処、江戸御普請彼是ニ而御作事手透無之、段々及延引、仍家作料渡りニ致度番頭より対談有之候、代金渡り之義者、近頃不相成候得共、右之訳ニ而段々及延引、今以御作事御用差湊候ニ付、申達之通代金渡申付候段、水野平左衛門方江申遣之
但家作料一色廿五両ニ而仕切可相渡旨、御作事より申談之、尤以後之格に者不相成候也、右之趣御勘定奉行江茂申遣之
この中の「御用差湊候ニ付」の「差湊」をどう読むのか分からず、ずっと気になっていた。
「川越藩松平下大和守家記録」は「天明4年」(今年)まで刊行されているが、この表記は、この1ヶ所しかない。
そんな中、つぎのような記事を見つけた。
コラム:史料の中の地域性―「差支」る「差湊」―(根本みなみ)
ここには、つぎのように書かれている。
古文書を見ていると、地域独特の読み方や表現があることがあります。私が専門としている萩藩では、「峠」を「たお」と読むのは有名ですが、研究をする上で非常に困ってしまう言葉に「差湊」という言葉があります。これは「さしつどう」と読み、一般的には「何かが集まる」様子を示す言葉です。しかし、萩藩ではこの「差湊」を「差支」と同じ「困る」という意味で使用します。「どうして『差湊』で『困る』という意味になるのか」と地元出身の研究者に尋ねたところ、「人や物が集まりすぎて、身動きが取れなくなると困るでしょう」とのこと。しかし、他の藩の史料では「集まる」を示す言葉が特定の藩では「困る」を指すというのは、文字通り大いに「差支」てしまいます。
例えば史料を翻刻して紹介する際、「差湊」はまずは翻刻者(つまり私)の誤字だと指摘されてしまいます。しかし、私の誤字ではないと弁明すると、今度は史料記述者の誤字として扱うように求められます。ご存知の通り、古文書を翻刻する際、最初に筆記した人の明らかな誤字だと分かる場合には「ママ」と注記を入れます。ですが、「差湊」は誤字ではないため、注記を入れることもできません。結果、萩藩では「差湊」は「差支」と同義で使うので、「差湊」のままで「差支」はありませんと繰り返し説明することになります。萩藩研究に携わったことのある研究者に「差湊」の話をすると、一様に「あぁ……」とため息を吐くことからもこの苦労が伝わるのではないでしょうか。
仙台藩の史料を見るようになった当初、実は私はひそかに楽しみにしていたことがありました。それは仙台藩の史料でも「差支」と同じ意味で使われる「差湊」を見つけることです。もし見つけることができれば、「仙台藩でも使っていますよ」と堂々と答えることが出来るのではないか。そう思ってから早一年。残念ながら、私はまだ仙台藩では「差湊」にはお目にかかっていません。
東北大学東北アジア研究センター
上廣歴史資料学研究部門
これは正に、最初に紹介した記事の「差湊」の表記と符合している。
そう思って「差湊」を「差支」に置き換えてみると、ちゃんと文脈に合っている。
その後、後年の記録を読んでいると、他にも「差湊」の表記が見つかった。
とりあえず、今回はここまで。
上記の画像は、以下の通り
