川越古文書同好会のブログ

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川越を中心とした古文書好きの集りです

 

 (続き)御不〆り之義有之候而者

 甚以不相済

 御上之御望不相成事ニ至り

 御大事至極之義、既御使番

 衆ゟ被申聞候事も有之候得者、

 別而銘々者勿論頭支配上ニ

 おゐて厚心を附無油断

 可被申付候、万一右様之義も有之候ハヽ

 急度申付候義も可有之候、呉々も

 無油断日々精々心を付         ※写真ここから

 候様可被致旨老中申候

 

 御使番細井宗左衛門殿、大久保

 外記殿、久留十左衛門殿、御陣屋内

 御見廻り之上被仰聞候者、御陣屋

 御取締之義弥御油断なく御心を

 被付、ハツテイラ等近海江乗入候

 哉も難計ニ付、御廻勤等厳重ニ

 心を付、且提燈之義者御触も

 有之候通り被相心得、形容無

 益ニ付ケ不置。実用のミ燈置

 万事実事ニ御油断無之

 様可仕旨

 右之通御坐候、以上

   二月十一日    高橋左百里

 

二月十五日

一御触被差出候ニ付、御廻し之旨

 小右筆ゟ左之通有之候

 今十五日四ッ時頃献貢物

 持参、横浜応接場江異人

 弐拾人余上陸致候間、神奈

 川宿ニおゐて浦賀御奉行

 伊沢美作守殿ゟ用人を以

 御達有之候、依之為心得

 申達候

右二月十六日御賄所ゟ写之

 

十五日雨

 夫人一統江香の物一樽被下置候 但拾組一組

                拾六人江四本ツヽ

十六日天気

 一ノ御台場江石原・自分両人

 野口様・大塚様御一所ニ見物行

 此節井上清兵衛様与申御船手

 江申入、夫ゟ船出ル

 

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    若御年寄御加増・御所替之節御

    進物之事

    御奏者番被 仰付并御加増(役)被

    仰付候節御進物之事

    御側衆被 仰付并御加増之節

    御進物之事                   ※写真ここから

    芙蓉之間御役人遠国御奉行・

    御目付・道御奉行被 仰付候節

    御進物之事

    御歩行目付組頭被 仰付候節御

    進物之事

    御坊主組頭被 仰付候節御進物之事

    誓詞判元御覧之御目付江御進物

    并御家来江被下物之事

    御城絵図裁許之御祐筆江御進物

    之事

    与力・御坊主御出入被 仰付候節

    被下物之事

    御坊主類焼并屋敷替之節

    被下物之事

    同心御出入被 仰付候後被下物之事

    御三家方御祝儀之節被進物之事

    御留守居御先手後御用御頼後

    御進物并御家来江被下物之事

    御老中始諸御役人江定式御進

    物之事

    御一門様并御老中始諸御役人方

    江献上御残之品御配之事

 

 一御一門様始諸御大名方

  公儀御役人并公家衆御領分御通

  行之事

   附り

    越後村上御引渡之

    上使白川御通行之事

    酒井石見守殿白川御領須賀

    川ニ而御病気ニ付、同駅江御逗留

    之事并白川御城下御通行

    之事

    会津国御目付白川御城下御通行之事

    豊後佐伯江之

    上使姫路御城下御通行之事

    長崎御奉行姫路御領室津

    御通船之事

    小笠原忠基公室津御通船之

    事

    松平宗教公姫路御通行之事

    京極佐渡守殿姫路御通行

    之事

    酒井下野守殿前橋龍海院江

    御参詣之事

 

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「川越藩松平下大和守家記録 三 明和九年・安永二年」の安永2年10月9日条に、つぎのような記事がある。

                      寺尾半作

右者先達而屋敷地被下置、家作可被 仰付処、江戸御普請彼是ニ而御作事手透無之、段々及延引、仍家作料渡りニ致度番頭より対談有之候、代金渡り之義者、近頃不相成候得共、右之訳ニ而段々及延引、今以御作事御用差湊候ニ付、申達之通代金渡申付候段、水野平左衛門方江申遣之

  但家作料一色廿五両ニ而仕切可相渡旨、御作事より申談之、尤以後之格に者不相成候也、右之趣御勘定奉行江茂申遣之

 

この中の「御用差湊候ニ付」の「差湊」をどう読むのか分からず、ずっと気になっていた。

「川越藩松平下大和守家記録」は「天明4年」(今年)まで刊行されているが、この表記は、この1ヶ所しかない。

 

そんな中、つぎのような記事を見つけた。

コラム:史料の中の地域性―「差支」る「差湊」―(根本みなみ)

ここには、つぎのように書かれている。

 古文書を見ていると、地域独特の読み方や表現があることがあります。私が専門としている萩藩では、「峠」を「たお」と読むのは有名ですが、研究をする上で非常に困ってしまう言葉に「差湊」という言葉があります。これは「さしつどう」と読み、一般的には「何かが集まる」様子を示す言葉です。しかし、萩藩ではこの「差湊」を「差支」と同じ「困る」という意味で使用します。「どうして『差湊』で『困る』という意味になるのか」と地元出身の研究者に尋ねたところ、「人や物が集まりすぎて、身動きが取れなくなると困るでしょう」とのこと。しかし、他の藩の史料では「集まる」を示す言葉が特定の藩では「困る」を指すというのは、文字通り大いに「差支」てしまいます。
 例えば史料を翻刻して紹介する際、「差湊」はまずは翻刻者(つまり私)の誤字だと指摘されてしまいます。しかし、私の誤字ではないと弁明すると、今度は史料記述者の誤字として扱うように求められます。ご存知の通り、古文書を翻刻する際、最初に筆記した人の明らかな誤字だと分かる場合には「ママ」と注記を入れます。ですが、「差湊」は誤字ではないため、注記を入れることもできません。結果、萩藩では「差湊」は「差支」と同義で使うので、「差湊」のままで「差支」はありませんと繰り返し説明することになります。萩藩研究に携わったことのある研究者に「差湊」の話をすると、一様に「あぁ……」とため息を吐くことからもこの苦労が伝わるのではないでしょうか。
 仙台藩の史料を見るようになった当初、実は私はひそかに楽しみにしていたことがありました。それは仙台藩の史料でも「差支」と同じ意味で使われる「差湊」を見つけることです。もし見つけることができれば、「仙台藩でも使っていますよ」と堂々と答えることが出来るのではないか。そう思ってから早一年。残念ながら、私はまだ仙台藩では「差湊」にはお目にかかっていません。

東北大学東北アジア研究センター

上廣歴史資料学研究部門

 

 これは正に、最初に紹介した記事の「差湊」の表記と符合している。

そう思って「差湊」を「差支」に置き換えてみると、ちゃんと文脈に合っている。

 

 その後、後年の記録を読んでいると、他にも「差湊」の表記が見つかった。

とりあえず、今回はここまで。

 

上記の画像は、以下の通り

 

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