川越古文書同好会のブログ -2ページ目

川越古文書同好会のブログ

川越を中心とした古文書好きの集りです

 

一同断ニ付為御祝儀御茶屋・高野輪

 御附之御医師・老女・中老江御吸物・御酒、

 惣女中江鉢肴・御酒被下置候由、同廿八日御便申来

 

一宝暦十一年三月五日、              ※宝暦十一年(1761)

 益姫様御縁組御願書、御用番秋元

 但馬守殿江堀田内膳殿持参之被差出候処、

 首尾好御請取被成之旨、右御願書左ニ記之

            松平大和守妹

            秋月山城守江

     右縁組奉願候、以上

           松平大和守取次

      三月五日   堀田内膳

           秋月山城守取次

             古郡孫大夫

一右ニ付但馬守殿御門前江御留守居罷越

 御願書首尾好御受取被成候段承知

 罷帰 上々様方初御一門様方江も為御知

 申上候由、同七日之御便ニ申来

一干鯛一折宛 上々様方ゟ右同断ニ付

 御祝被成被進之、同九日於

 御居間披露之

 

明矩公御在府中御国ゟ御取扱無之

一益姫様御事宝暦十一年八月

 十一日 盈姫様与御改号被遊         ※写真ここまで

 

一宝暦十二年午六月四日、秋月         ※宝暦十二年(1762)

 山城守様ゟ高野輪御屋敷江御結納

 被為 請候ニ付、干鯛一折、御樽代三百疋

 御前様、同一折、御樽代弐百疋ツヽ

 金次郎様 半三郎様、同一折、御樽代

 三百疋ツヽ 盈姫様 保寿院様ゟ

 右為御祝義被進之、於 御居間披露之

   但披露之奏者番麻上下着之

一右同断御祝義ニ付今夕御膳二汁五菜之

 御料理差上之、 秀三郎様江茂

 右御同様之御料理被進之

一同断ニ付老中始御近辺之面々江

 御吸物被下之、委者御日帳ニ有之ニ付

 略之

 

一同年同月廿二日

 盈姫様秋月山城守様江御婚礼御整

 被遊候ニ付、干鯛一折、御樽一荷宛

 御前様 若殿様 保寿院様、

 同一折、御樽代弐百疋ツヽ

 金次郎様 半三郎様ゟ為御祝義

 被進之、於 御居間披露之

一右ニ付為御祝儀 御前江今夕二汁

 六菜之御料理差上之、 秀三郎様

 江茂同断御料理被進之

一同断ニ付老中・御城代・年寄・奏者番

 江御吸物・小付・御酒、大御目付・諸奉行・

 御膳番始御近辺之面々江御吸物・

 御酒被下之、委細御帳ニ有之ニ付略之

一宝暦十二年六月廿四日江戸ゟ御飛脚

 到来之処、当廿二日 盈姫様御義秋月

 山城守様江御婚礼首尾好御整

 被遊、御祝式万端無御滞被為済候旨

 申来、右御祝式帳面相廻候、委細者

 御日帳ニ有之ニ付略之

一同廿八日 盈姫様御三ッ目為御祝

 義、秋月山城守様高野輪御屋敷江被為

 入、御祝式万端首尾好被為済之旨

 御祝式帳相廻候、委細者同晦日之御帳ニ

 有之ニ付略之

一同年七月朔日

 御同人様御婚礼之御礼

 御名代京極主殿殿を以被 仰上候ニ付

 御登 城、御白書院御縁頬ニ

 御献上物出シ有之、 御名戸田采女正殿

 御披露之、御礼無御滞被為済、御退出

 之節御老中方御側御用人江御廻勤

 被成、従夫 此方様江御出、御書院江

 御通、右之趣被仰聞之由

一御礼被 仰上候ニ付、縮緬五巻「台居/包長蚫」

 御城江御留守居持参之、御坊主組頭

 江相渡之由、其外御老中・若年寄

 中御勤向之義、委細七月三日之御日帳ニ

 有之ニ付略之

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 川越情報へ
にほんブログ村

 

一明和二年二月朔日 新六郎様御厄年      ※明和二年(1765)

 ニ付、伊勢内宮・外宮於両所御祈祷被

 仰付候ニ付、為御最花銀壱枚ツヽ被

 献之、幸堀中図書参宮ニ付、右        ※堀中図書…年寄

 御代拝之義御頼被遣之

一金弐百疋多賀江右同断ニ付被献之

 不動院江各共ゟ書状添以飛脚

 遣之

一明和二年三月十九日就吉辰

 新六郎様、由良播磨守様江御引越、

 即日御息女様与御婚礼御整被遊候付

 干鯛一折、御樽一荷ツヽ 御前様 若殿様

 保寿院様ゟ為御祝儀被進之、於

 御居間披露之

一右為御祝儀 御前江今夕二汁六菜之

 御料理差上之、 秀三郎様 吉五郎様

 昌之助様江茂同断御料理被進之

一同断ニ付為御祝儀老中・御城代・年寄・

 奏者番江御吸物・小付、大御目付・諸奉行・

 御膳番始御近辺之面々、御側坊主迄

 御吸物・御酒被下之、右御礼謁各

一奥老女始御側女中江右同断為御祝儀

 御吸物・小付・御酒被下置之、夫ゟ御次女中

 迄御吸物・御酒被下置之、其已下江者御酒・

 鉢肴被下置之、用達相招申聞之

一干鯛一折ツヽ老中始御側廻之面々、

 御側坊主迄、右同断為御祝儀差上之

一干鯛一折ツヽ番頭始大御目付・諸奉行・

 番頭嫡子迄、右同断為御祝儀差上之

 右御祝式之義は廿一日之御便申来

 委御帳有之                  ※写真ここまで

 

24 章姫様御取扱之事

明矩公御二女

一章姫様延享元三月朔日御誕生          ※延享元年(1744)

 被遊、 御在府中御出生付、御国ゟ

 御取扱無之

明矩公御代

一宝暦六年十一月廿八日就吉辰          ※宝暦六年(1756)

 章姫様御鉄漿御附初被遊候ニ付、

 上々様方江御料理被進之

一干鯛一折、御樽一荷 章姫様江右

 為御祝義被進之、御使者奏者相勤候由

一同断ニ付為御祝儀御茶屋・高野輪御附

 御医師・老女・中老江御吸物・御酒、惣女中江

 鉢肴・御酒被下置之由、閏十一月四日江戸ゟ

 前橋江申来

一章姫様津軽信寧公江御内縁御極

 被遊候義宝暦三四月廿九日、御婚礼       ※宝暦三年(1753)

 之儀者同十一年十一月廿三日御整被遊、     ※宝暦十一年(1761)

 御在府中ニ付御国ゟ御取扱無之

 

25 益姫様御取扱之事

明矩公御三女

一益姫様延享二年閏十二月廿二日         ※延享二年(1745)

 被遊御誕生、於江戸御誕生ニ付御国ゟ

御取扱無之

明矩公御代

一宝暦二年十一月廿八日             ※宝暦二年(1752)

 益姫様御紐解御祝儀御整被遊候

 ニ付、御帯二筋、干鯛一折被成御祝被進之

 御使者奏者番相勤之由

一干鯛一折 保寿院様右同断ニ付被成

御祝被進之、同人御使者相勤之由

一右ニ付 上々様方江為御祝儀引汁五菜之

 御料理被進之、御祝義無御滞相済候由

一同断ニ付御茶屋新御殿御守・御附之

 御医師・老女・御側女中迄御吸物・御酒

 被下置之、御次江鉢肴・御酒被下置之

 申十二月二日申来               ※申…宝暦二年

一宝暦八年十一月廿五日             ※宝暦八年(1758)

 益姫様御鉄漿御附初被遊候ニ付

 上々様方江御吸物被進之

一干鯛一折、御樽一荷 益姫様、鮮御肴

 一折 保寿院様江右為御祝義被進之

 御使者奏者番相勤之由

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 川越情報へ
にほんブログ村

22 金次郎様御取扱之事

明矩公御二男矩道公御誕生者明矩公御在府中ニ付於御国

御取扱無之

一金次郎様元文四十月五日被遊御誕生     ※元文四年(1739)

一御同人様御髪置被遊候御祝式者

 元文五年十一月十一日之御日帳ニ有之ニ付

 略之

朝矩公御代

一金次郎様御厄年御祝義者宝暦        ※宝暦十三年(1763)

 十三年二月朔日之御日帳ニ有之ニ付

 略之

一宝暦二年十一月廿八日

 金次郎様 万吉様此度御部屋

 御普請出来ニ付、御引移被遊候、為

 御祝儀御肴一種、御樽一、前橋より

 被進之、右御祝式之義者御日帳ニ

 有之ニ付略之

一明和元年申九月十二日夕方より       ※明和元年(1764)

 金次郎様御病気被成御座之旨

 同廿九日之御便ニ申来、夫々追々御様

 躰日々申来、御取扱之義者御日帳ニ有之

 ニ付略之、依之為御見舞小納戸寺尾

 辻郎被進(遣ヵ)之

一十一月二日寅中刻過江戸出ル刻廻御飛脚

 同夜暁寅刻着之所 金次郎様御病気

 御養生不被為叶今暁寅中刻過

 被遊御逝去之旨申来

一御同人様御逝去ニ付、大御目付高岡三大夫

 今暁江戸出立、同夜暁寅刻過着、

 右ニ付老中堀中主鈴登

城、右之趣御直ニ申上之

一同断ニ付 上々様方為伺 御機嫌

 御膳番亀岡長大夫被進(遣ヵ)之、同三日出立

 委細者御日帳ニ有之ニ付略之         ※写真ここまで

 

23 明矩公御三男矩豊公

   万吉様御取扱之事

一万吉様御誕生被遊候義、元文六年       ※元文六年(1741)

 正月廿日之処ニ有之ニ付略之

一御同人様御七夜之御祝儀 御名被進

 御祝義物為御取替老中始御祝義

 被下物、右ニ付拝領物之義、同年二月朔日

 之御日帳ニ委有之ニ付略之

一右御七夜之為御祝義

 上々様方江御料理被進候事、同四日之処ニ

 有之

明矩公御代

一宝暦四閏二月廿三日 万吉様御疱瘡      ※宝暦四年(1754)

 被遊候節之御取扱 御在府年ニ付御国

 之御帳ニ者無之

一宝暦八年八月廿九日 万吉様御事       ※宝暦八年(1758)

 去ル廿七日 半三郎様与御改号被遊

 之旨申来、且又由良播磨守様江御養

 子御願相済候後 新六郎様与御改号

 被遊之

一明和元年七月十八日由良播磨守様ゟ      ※明和元年(1764)

 以御使者 新六郎様 御目見御願書

 可被差出と御相談旁被仰進之、同十九日

 御口上書相廻入 御覧

一同年八月五日 新六郎様 御目見

 被為済候、御当日為御祝義干鯛一箱、御樽代

 三百疋由良播磨守様、干鯛一箱ツヽ同

 御裏方様、同断御息女様、干鯛一折、

 御樽代三百疋 新六郎様、鮮御肴一折

 保寿院様江被進候間、宜取計候様

申遣之

一同年九月五日 新六郎様去ル朔日初而

 御目見被 仰上之、依之

 公辺江御連書格御書被差出之

 委細御帳ニ有之

一新六郎様初而 御目見被 仰上候ニ付、為

 御吹聴御太刀銀馬代御持参之、右

 為御返礼同品被進之、御使者江戸

 奏者番相勤候様申遣之

一番頭ゟ大御目付・諸奉行・番頭嫡子

 右同断御怡出仕謁各

一老中嫡子・御城代嫡子・年寄嫡子

 右同断ニ付出仕謁各

一物頭ゟ御番抜・老躰迄同断ニ付出仕謁各

一右同断為御歓四ヶ寺并隆勝寺登

 城被謁之

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 川越情報へ
にほんブログ村