今日は新撰組の日 | タッキのブログ

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新撰組で好きな隊士はいる?


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新撰組の日


1862(文久2)年のこの日、京都で江戸幕府が武芸にすぐれた浪士をあつめてつくった武力組織、新撰組の前身「壬生(みぶ)組」が結成されました。
 初め20人前後だった隊員数は、65年(慶応元)ごろの最盛期には約200人にふくらんでいます。
 1864年(元治元)の池田屋事件での活躍が有名で、尊攘派に大きな打撃をあたえました。
 ところで、隊員の1ヶ月の手当は、局長50両、副長40両、助勤30両、平隊士10両ほどでしたが、当時は1両2分あれば、親子5人が楽に暮らせたといいます。
 かなりの高給ですね。


1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。

もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。

まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。


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