こんにちは!
関西学院大学体育会カヌー部4回生の袋布新太郎です!
「ラストブログ」ということで、これまでの4年間を振り返って色々と書けたらと思います。どうぞご覧ください。
注:かなり長いことが予想されます。(実際書いてみるとありえないくらいに長かったです。すんません。)
目次つけておくので、読みたいところから是非お読みください!!
〇目次
1.Sakura canoe
2.ペットボトル潰しin海の森
3.袋布の排便機関壊れてるらしい
4.5/6
5.正解
いや、これじゃ分からんわい。と思ったでしょう。
ざっと内容をまとめるとこんな感じです、こっちは参考にできるはずなのでこちらでどうぞ。
1.関学カヌー部の組織の良さ
2.学連について
3.みんなに伝えたいこと
4.みんなに伝えたいこと2
5.振り返って思うこと
普段何を考えているか分からないとよく言われるので、逆に思っている事をこれでもかってくらい書いておきます。
まとまっていない所も多くあるだろうし、伝えたい対象者が多すぎて、自分にこれ関係ないやん、と思う所もあるかもしれませんがご了承ください。
それでは本編どうぞ!!
1.Sakura canoe
今でも忘れない、2021年3月9日。
千葉県立S高校卒業式の日、某大学の合格発表を見て一安心した後、その大学には行かないこと、そして関学に進学することを担任の先生に伝えました。
「カヌーを続けたいと思って。」
そう言ったあと、担任の先生は自分で決めた事なら精一杯頑張ってねと背中を押してくれました。
友達にもこの事を伝えましたが、みんな驚くばかり。(だった気がします。)
まあ当たり前と言えばそうなのかもしれないけど、実家から通える大学に行かず、遠く離れた関西の地で競技を続ける事を決めた自分の選択はみんなには少し意外だったのかもしれません。
それもそのはず、自分は全国の舞台にも立っておらず、それどころか高校のチーム内でも1番手と言えるような選手ではなかったため、競技を続ける(=上を目指す)なんてことは思われていなかったでしょう。
では、なんで大学でもカヌーを続ける事を決めたのか。
それはカヌー部という組織の居心地が、自分にとってとても良かったと感じていたからです。
競技そのものもとても楽しいし、頑張りがいのある競技だと思っていたけれど、それ以上にカヌー部の「人」とか「雰囲気」だとかが好きだったから。
7年間やってきて練習が嫌という事はちょっぴりあったけれど、カヌー部という場所に行く事が嫌になった事は1度もありませんでした。
(寝坊した時を除く笑)
また、数多くある(?)カヌー部の中で関学を選んだのは高校と同じ人の良さや雰囲気の良さがあると思ったからです。
実際、高校と大学のカヌー部で文化や歴史は違っていたけれど、本質的な雰囲気や人の感じは一緒でした。(って言えば高校の人も大学の人にも伝わるのかな?)
全然練習場所から帰らない所とか、何かニュースややらかしがあるとそれを面白おかしく取り上げる所とか、関わる時間がカヌー部の人だけ異常な長さになる所とか。
どれも傍から見ればつまらない身内ノリだなぁ、って思うのかもしれないけれど
そういう所がめちゃくちゃ好きでした。
高校のみんなと菅澤先生、西山先生。(その他高校時代の関係者の方も。)(見て下さっているかは分からないけど書いておきます。)
結局良い結果を出すことは出来なかったけれど、関学カヌー部の4年間はとても良いものでした。
繰り返しになりますが、カヌーを続けようと思わせてくれたのは、高校カヌー部の3年間が楽しすぎたからです。
楽しい場所、機会、思い出を作っていただきありがとうございました。
(とりあえずどっか遊び行こう!!)
これって本来はじめましてのブログで書くことだったのかも知れないけど笑、
感謝を伝えるということで書いておきます。
(関学の方は全然関係なくてすみません、、)
直接言うのは未だに恥ずかしいので、もしこれを見てくれていたらなんかまた言ってね!
2.ペットボトル潰しin海の森
タイトルを見てなんだこれって思ったそこの貴方。正解はこれです。
まあ見てもなんだこれってなる気がしますが。
この写真は昨年2023のインカレ最終日のものです。
ゴミに溢れているけどなんか鮮明に覚えているので選びましたが、何を言いたいかというと学連では他の人が出来ない多くの経験をさせてもらったという事です。
(ゴミにまみれた経験が良かったかについては分かりかねますが。)
夕焼けの中のレースを絶好の位置から見たり、
海の森の自動発艇装置が付けられなくてその結果絶景に出会ったり、
本田会長と2人でドライブしたり、
(なんと左ハンドル!!)
その他にも、
・この先どこで使うん?っていうスーパーストップウォッチの使い方を覚えたり、
・大人の方と会議や打ち合わせの際に良いものをご馳走になったり、(その節はありがとうございました。)
・みんなが疲れすぎて1人の寝言が「まだ働けます、、大丈夫です。。」になったり。
そして1番大事なことである
・大人や学生に関わらず、数えきれないほど多くの出会い、そして学びを得られたことだったり。
ここでは言えない学連の思い出もありますが、これも振り返って今思うのは本当に良い経験をさせてもらったということ。
これは、全大学の選手またOBOGさん、監督、コーチの方々(もし学連を大人の方々で選ばれている団体様があればの話ですが)に伝えたいのですが、学連という役割は決して損な役柄ではないと自分は思います。
「レースの合間も仕事していて大変そう…」とか、「何のためにやっているんだろう…」とか、いろいろと思われることはあるだろうし、実際学連の中にもそのような内容の事を思っている子は少なからずいると思います。
しかし、自分で言うのもなんですが学連がいないと大会は絶対に開催できません。
もし学連がいなければ、漕ぎ切った時に順位やタイムは残らない、レースに出るための検艇もできない、それどころかレースのタイムスケジュールすらなくなる。
(他にも不便になることは多々あります。。。)
ということを踏まえ、学連の人に伝えたいことは「学連として仕事をする以上、その仕事が絶対に誰かの役に立っていることを実感してほしい。そして、選手と学連の両立が出来ればそれは大いに価値があるし、達成してほしい。」ということ。
逆に、学連員以外の人に伝えたいことは「学連は仕事があってやらなきゃいけないこと、そしてやらされていることも中にはあるが、それに対してかわいそうとか大変そうというマイナスな感情は一切持ってほしくない。」ということです。
選手と学連(選手兼学連の子も)がお互いリスペクトしあえるような関係性、そしてその中で学連も含め全選手で正々堂々と円滑に試合できる環境が整えば、もっともっと学生カヌー界の大会、そして学生カヌー界はより良いものになると自分は思います。
そこまではさすがに自分の力が足りなさ過ぎたので、今後学連として携わる人には
その部分はお願いしたいと思います。よろしくお願いします!!
そして、こんな偉そうに下の代に喋っている自分ですが、本当に多くの方に支えていただき何とかやってこられたと感じています。
下の代の子たちも勿論ですが、上の代の方々、また大人の方々には大変お世話になりました。少しだけ個別で感謝を伝えさせていただきます。
東山さん、平山さん、たえこさん
引き継ぎ事項も含め、学連の委員長としてドライブのデータからメールの履歴までとても多くの事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
また、個人的な意見ですが、大会を通して自分の目にかっこよく映っていたのは
「圧倒的な速さで勝ち上がる選手」でもなく、「デカい肉体やかっこいい漕ぎで周囲を魅了する選手」でもなく、怒られることもありながら、そして仕事を行っても評価を必ずしも得られるわけではない中、夜遅くまで必死になってみんなのために仕事をこなすあなた方の姿でした。
学連もある中、1選手として結果を追い求めることの難しさがこの1年になってようやくわかると同時に、それらを実践していた先輩方の偉大さを身にしみて感じる1年となりました。
下の代への引き継ぎや、諸々の思い出話も含め、1回どこかで学連会でもできたらと思います。
よろしくお願いいたします!!
大人の関係者各位
この1年、大変お世話になりました。
これをご覧になっているかは分からないですが、他に残す場もないと思うので書かせていただきます。
準備ギリギリになってすみません。あと引き継ぎと報告関係の仕事は責任をもってやらせていただきます。
自分では力の足りない場面も多くあり、いろいろとご迷惑をおかけしましたがそれでも何とかやってこられたのは皆様のおかげです。
本部棟でひっそり流れていた袋布続投の話ですが、さすがにやめておきます笑
ただ1つ言えることは本当に良い経験になりましたということ、これに尽きます。
この場をお借りしてお礼申し上げます、ありがとうございました。
(学連員以外の人は関係なさ過ぎてごめんなさい!!次行きます!!)
3.袋布の排便機関壊れてるらしい
まずは、意味わからんタイトルでごめんなさい。(食事中の方もすみません?)
これは、自分が入っているLINEグループのうちの1つの名前です。なんでこんな名前になったのかは覚えてないし、このグループ自体はもう動いていないけれど、こんなLINEグループが数多く存在します。
例えば、
・○○鑑賞会
・カオダシュンスケ
・これ好き部
・やまのぼりだいすき
・来いよ。高みへ。
などなど、、、(懐かしさを感じる方もいるかもしれません!!)
動いていないグループの方が多いし、何のために作ったグループなのか覚えていないものもありますが、ここから後輩みんなに伝えたいことは
「とりあえず多くの場に飛び込んでほしい」ということ。
上で紹介したグループそれぞれは、当たり前ですが動いていた時期があります。
そして、そこにはそれぞれの思い出が確実に残っています。
自分自身の性格上、何かを断ることが苦手なため半ば強制的に入ったグループも中にはありますが、結果的に参加して嫌だったと思うようなものはそこまで見当たりません。
(というか全くないです。)
むしろ、参加して良かったと思えるような場所ばかりでした。
様々な場所に飛び込むことは、少しばかり勇気と体力のいることだと思います。
また、飛び込もうとしている場所が必ずしも楽しいとは限らないし、嫌な思いをすることだってあるかもしれない。
けど、それも全部経験値として自分の中に取り込めばいいわけで、楽しくなかったことや辛かったことはマイナスではないと自分は思います。
だからこそ、カヌー部の内外問わず多くの場所にとりあえず突っ込んでいっていろいろな経験をすること。
これは後輩みんなにぜひやってほしいなと思います。
多くの場所に顔を出せば、いろいろな話のネタもでき、多くの情報が入ってきます(みんないろいろ教えてくれましたね)
自分が完璧に出来ていたとはとてもじゃないけど言えませんが、ちょっぴり人よりは意識していた気はするので言わせていただきました。
今後も自分が入っているグループが動いていくのか、また何か新しいグループが出来てそれが動いていくのか、そんなことは分かるはずもないけれど、今関わらせてもらっている皆さんは今度ともよろしくお願いいたします。って所で終わりにしときます。
(半分切りました、あと少し!!)
4. 5/6
6分の5。何の数字かは自分が1番よく分かっています。
今年の幹部のプレーヤーで今年度の大会で決勝に上がった(点を取った)人数です。
そこに入れなかった6分の1。それが自分でした。
一応高校からカヌーしてきたし、4年間を通して1回くらいは決勝上がれるっしょって思って大学に入りましたが、結局その目標は達成できませんでした。
昨年の大会でボコボコにされてから今年は点数取らなきゃって思っていたけど、SFまでしか進むことはできませんでした。(しかもSF全然惜しくなかった)
前に書いていた人もいるけれど、自分達の学年は実力のある選手が多くいたと自分でも思います。少なくとも自分が関わらせてもらった代では存在しなかった「幹部全員決勝進出」。
誰にも言った事はなかったけれど自分の中での目標というか夢でした。
その目標に対して1番遠いところにいたのは間違いなく自分だったから努力をする必要があったけれど、ちょっぴり(というか結構かも)その努力は足りていなかったと結果は教えてくれました。
では、なんでその努力は足りていなかった、成果に結びつかなかったのか。
答えは簡単でした。
「勝負に対して貪欲になれていなかったから。」
これに尽きると思います。
学連の仕事があるから。授業いっぱい残っているから。(これは自分が悪い)
大事なTTの前に体調崩したから。練習とか他の試合の結果を見る感じ自分より速そうだから。
言い訳なんていくらでも思い浮かびますが、でも試合があって順位やタイムが1位から最下位まで決まるのだったら当たり前だけど勝ちに行かなきゃいけなかった。
全部が終わった今、すごくそう思います。
振り返ってみると、試合が終わって本気で悔しくなれた瞬間は正直なところあまり多くはなかったです。実力からみたらだいたいこの順位くらいかな~って思っていた節もあるけれど、実力どうこうの問題ではなく何か理由をつけて勝負から逃げてしまっていた場面が最後の1年は多くありました。
後輩みんなに伝えたいことは「何か理由をつけて逃げちゃだめだよ」ってことです。
これは負けたときもそうだけど勝ったときもそうだと自分は思います。
勝てるならとことん勝つ、そうした方がお互い納得というか満足するというか、より高みを目指せるのではと関学カヌー部での多くの試合を通して実感しました。
(そうは言っても難しいとは思います。なので異論は認めます、、、)
またまた自分の話に戻りますが、逃げてしまった理由で1番多く使ってしまったのが「学連」でした。
仕事があるから、レース前寝られないから、調子よくても大会期間入ると漕げなくなるから
(そんなことはないですが笑)。
理由をつけるには言い方は悪いけれど絶好のものでしたし、まあしょうがないかとも思いやすくなる理由ランキングをつけるなら余裕で第1位になりそうだけれど、それを踏まえたうえでも勝ちたかった。
K-1 200m SFのレースで決勝進出ラインに足りなかった約1.5秒。
結構な差だからこそ、「学連がなかったら」と逃げることはなく、努力不足・実力不足だったと素直に結果を受け入れることが出来ました。
4年前に戻れるなら、もっと貪欲に、そして良い意味で自己中に、強くなるための行動をしろと自分に強く言い聞かせていることでしょう。
ちょっと自分の性格的に他を優先してしまう部分があったから。レースが13:20発艇なのに13:00まで本部に残って仕事しちゃうから。
どこかのタイミングでもう少しだけ自分の事を優先していれば結果は変わっていたのかもしれないけれど、それは振り返ってももう遅いから。
後輩のみんなはMastery for serviceはほどほどにね!!
(関学のことは悪く言ってないのであしからず笑)
そして、これは自分からのささやかなお願いです。
この5/6という数字もある以上、もしかしたら自分らの代のことが話に上がって来る日もあるかもしれません。(ないかもしれないけど。)
その時に、「あの代の選手は6人しかいなかったけど、そのうち5人も決勝に上がったんだよ。え、あとの1人の選手はって?その人は全然速くはなかったけど、学連長として必死に大会を運営していたし、その人のおかげもあって台風の中無事大会が出来たらしいよ。だから全員すごかった!」
と自分も入れてくれると嬉しいですねえ。
(勿論ですがゆうりも入れて7人で言ってくださいね!!)
いずれにせよ、決勝に上がれなかったことは絶対にこの先も記憶に残る事の1つになりました。(とか言ってすぐ忘れるかもしれないけど。)
けど、裏を返せば決勝に出られなかった選手の気持ちが痛いほどわかるのはこの第66代では自分だけです。これまでのOBOGの方々も、これからの代の後輩(みんなが決勝出られることを祈っていますが)もその立場の人間にしか言えない、伝わらないこともあるとは思うのでその時はぜひ話しましょう。
最後に1つだけ言いますが、「決勝に上がれない=負け」だとは自分の意見ではありますがまったくもって思いません。
それはなぜか。次の章でお話しします。
5.正解
長々と書いてしまった内容もこの章で終わりです。
みなさんがどこから読んだのか、はたまたここだけ読んでいるのか、そんなことは分かりませんが4年間を振り返ってあと少しだけ書かせていただきます。
1回生。
ただただカヌー、そしてカヌー部をがむしゃらに楽しむこと、そして他の事は何も考えずに速くなろうと必死で頑張っていました。
高校3年生の間の1年間のブランクが大きすぎて、100ダッシュが最初27秒だった時はさすがに焦ったけれど笑、練習をやればやるだけ速くなっている感じがしてとても楽しかったです。
2回生。
依然として、自分の事ばっかり考えながら黙々と練習していたような気がします。
艇もちょっと良くなり出し、男子で最下位だった自分がいろんな人に勝てるようになってうぇーいってなっていた時期でした。
ちなみに、この年から髪の毛がまっすぐになり、単位はなぜか危なくなっていきます。
(そして現在の惨状が生まれている。)
3回生。
学連がちょっとずつ忙しくなったこと、そして競技も順調に成長しているとは言えなくなったこと、いろいろと重なり1番4年間の中で苦労した時でした。と個人的には思っています。
この年、大学に入ってから初めて自分の漕ぎが不甲斐なくてレース後に泣いたことを覚えています。(今年は泣いていないので、大学在学中の1番悔しかったレースです。)
何のレースだったかはご想像にお任せしますが、あと1回しか夏はないんだからって思いを改める良い機会でした。
そして、4回生。
激動の1年間でした。特に最後の半年。
自分で言うのもなんですが、学生カヌー界約300名ほどの中で下手したら1番忙しい生活を過ごさせてもらった気がします。
就活したり、長距離したり、大阪学生の準備をしたり、カンカレインカレの準備をしたり。
って思っていたらすでにカンカレが始まっていて、インカレが終わっていて、気づいたら8月は過ぎ去っていました。
暇よりは忙しい方を好む自分ですが、いやいくら何でも忙しすぎるわ!!と思った事も多々あります。
また、大変な事やしんどい事も数多くありました。
けど、それ全てをひっくるめても楽しかった。これしか出てこないです。
「カヌー部での思い出は何ですか?」と聞かれたら訳わからんくらい大量に出てくるでしょう。本当に周りの方々に感謝といった感じです!!
最後に。(本当に最後です笑)
関学カヌー部に入部した3年半前にこんなブログを書いています。
このブログで4年間の目標としていた
「カヌーを通して人間として大きく成長すること」。
自己評価としては90点をつけても良いくらいには達成できたと思います。
関学カヌー部と学連という2つの組織でそれぞれ頑張った結果、3年半前とは多くの部分で変化できたと感じています。
じゃあそれはどこやねん?って聞かれると、言語化するのは難しいですが、すべてやり切った後に感じた充実感や満足感は確実に自分を成長させてくれたと気づかせてくれました。
「終わりよければすべてよし」という言葉はそこまで好きではないのですが、
この言葉に集約されるかなと思います。
競技者としての結果は良くなかったけれど、それ以外の面で自分の中で納得できる部分があったから。
4年間でたくさんの経験をしながら、色々な経験値を積むことが出来たから。
カヌー部に入ることがなかったら出会えなかった人にたくさん出会うことが出来たから。
関学カヌー部に入部して4年間やりきるという選択を「正解」にすることが出来たから。
自分自身、大きな自信を持って次のステージに進みたいと思います。
OBOGの皆様、保護者の皆様につきましては多くのご支援、またご声援をいただきまして誠にありがとうございます。
多くの人に支えられながら部活をできている事、この環境は当たり前ではないことを4年間を通して強く実感させていただきました。
この場をお借りしてお礼申し上げます、ありがとうございました。
さて、次のステージに進みますと気合十分で宣言したものの、取り残された単位を取得する日々がこれから始まります。(皆さんのご想像の倍以上は残っていると思います笑)
卒業か留年か。こちらについても乞うご期待ください。
(こんな感じで言うと留年フラグが立ちそうですが全力で卒業しに行きます笑)
では、履修を組まなくてはいけないので、、、
この辺で失礼します。
ありがとうございました。
第66代 プレーヤー
兼 全日本学生カヌー連盟 委員長
兼 関西学生カヌー連盟 理事長
袋布新太郎