ぐーたらKGの☆※€
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

EXCEEDⅡ lesson9 和訳 全訳

エクシードⅡ lesson9
Media Literacy

セクション1~5まで
全訳(^з^)-☆

他にもリクエストがありましたらコメよろしくお願いします(^-^)/


現代社会では、私たちの生活はマスメディアと密接な関係がある。ある調査によると、平均的な日本人は1日約3時間半テレビを見るが、それは75年生きると思われる人にとって11年間に相当する。新聞や雑誌、映画、ラジオ、インターネットを加えれば、人生のほぼ半分が何らかの形のマスメディアにさらわれている。
マスメディアが発達したおかげで、今では大量の情報が即座に得られる。ほんの数年前よりはるかに多くの情報を簡単に得られる。
けれどもメディアの偏りに気付いていることが重要である。情報は時として送り手によって偏らされ、送り手によって提供されるものがいつも本当だとは限らない。したがって私たちがメディア・リテラシーを持っていること、すなわち情報の作られ方、理解の仕方を知っていることが重要である。

テレビのニュースの選定を考えることによって始めよう。ニュースの項目が10あると仮定してみよう。ニュースにあてる時間は限られているから、各テレビ局はこれらの項目からいくつかを選ばなければならない。どうやってニュースを選ぶのだろうか?それはテレビのニュースの制作者次第である。彼らは彼ら自身の観点に基づいてニュースを選ぶ。
たとえ2つのテレビ局がニュースの同じ項目を選んだとしても、それぞれの項目に与えられる順番と時間は違うかもしれない。下の図を見て欲しい。これは2007年9月7日に2つの局によって放送されたニュースを示している。それらの違いが分かるだろう。Aテレビでニュースを見た人々はBテレビを見た人々とは違った印象を持つかもしれない。これは、私たちがテレビのニュースの制作者の観点に基づいたニュースを得ていることを示唆している。すべての視聴者がこのことを理解するのに十分なメディア・リテラシーを持っているかどうかは不明確である。

テレビと他のメディアとの違いは何だろうか?この質問に答えるのは簡単だと思うかもしれない。テレビは目に見えるから他のメディアより強い影響力がある。しかしテレビが提供する映像もまたテレビの制作者次第である。
下の2つの映像は同じ演説を聞いている人々のものである。映像1では人々はスピーチを楽しんでいる。しかし映像2では人々はスピーチに興奮し、強い関心を持っている。もし映像2だけを見たら、スピーチは効果的だと思えそうである。しかしどちらの映像が選ばれ放送されるかはテレビのニュースの制作者次第である。テレビのニュースは事実のすべてを映していると思われるかもしれないが、そうではないかもしれない。ある出来事のほんの一部しか見ていないなら、それの他の重要な側面を見逃しているかもしれない。

視覚に加えて、BGMもまた視聴者に強い影響力がある。ここにある実験の報告がある。3つのグループの子供たちが、木にいる2匹の子ザルのビデオを見せられた。1つ目のグループの子供たちは楽しい音楽と共にビデオを見た。2つ目のグループは悲しい音楽が流れている間に見た。3つ目のグループは神秘的な音楽を聞きながらそれを見た。
君は各グループが違った印象を持つのは同然だと考えただろう?その通り。楽しい音楽のグループの子供たちは子ザルたちが一緒に楽しく遊んでいると考えた。悲しい音楽のグループは子ザルたちが迷子になって母親を探していると考えた。神秘的な音楽を聴いたグループは子ザルたちがスパイのように見えたと想像した。ようするに映像のメッセージはBGMによって変えられる可能性がある。

ここまでで、テレビのニュースの選択・順番・長さと、映像・音楽の使い方がどのようにして情報の意味に影響するかを見てきた。だから私たちはテレビの視聴者として多くの情報が送り手によって影響されていることを知るべきである。このことはまた新聞やラジオ、雑誌のような他のメディアにも当てはまる。何が現実なのか、何が本当なのか知るために、できるだけ多くの情報を集め、それについて自分自身で考えるべきである。
情報技術の時代では、私たちが受け手であるだけでは不十分で、送り手でもあるべきである。今では自分のメッセージをネットやメール、あるいは携帯電話を使ってとても簡単に送ることができる。情報を送るときは、なぜそれを送るのか、何を送ったか、どんな表現を用いたかを心に留めておくべきである。ようするに言葉は批判的かつ明確に使うべきなのである。/

EXCEEDⅡ reading2 和訳 全訳

The Weeping Camel

伊勢○高校の宿題でなやんでいる皆さんに救済措置です
(^з^)-☆

セクション1-4まで
p 105
ラクダたちの出産シーズンもほとんど終わっていた。モンゴル南部にあるゴビ砂漠の気候も寒さを増しつつあった。当時、僕は子供で、生まれて初めて特別な儀式に参加した。これがそのときの話である。

僕の家族は伝統的な遊牧生活を送っていた。僕たちは家畜とともに砂漠の中でテントを張り、移動した。生活は家畜に頼っていた。なかでもラクダには多くの点で頼っていた。ラクダは乗り物に使った。ミルクや肉が取れた。毛は服や毛布になった。皮で靴や鞍を作った。フンさえ燃料に使った。
僕の家族は 4 世代構成だった。曽祖父母、祖父母、両親、弟のウグナ、妹のグンテ、そして僕。
僕たちは自然と季節に調和して暮らし、働き、移動した。快適な生活だった。だけど母ラクダに問題があった。
p 106
通常、ラクダは人の助けをほとんど借りずに出産する。しかしこの母ラクダは 1 週間以上、陣痛に苦しんでいた。彼女を助けなければならなかった。父が彼女を出産用の支柱につなぎ、彼女をさすって出産を促したが無駄だった。
2 日後、彼女が横になった。彼女の陣痛はとても厳しかった。赤ん坊がどうしても出てこようとしなかった。僕たちはみんな彼女が無事に出産するよう祈った。長くつらい時間のあと、家族全員の手助けで赤ん坊ラクダが生まれた。珍しい白毛のラクダだった。無力な状態で横になっているとき、祖父が赤ん坊ラクダの耳に命を吹き込んだ。赤ん坊ラクダはもがき、立ち上がり、母ラクダを探した。
母ラクダはわが子の方を振り向いた。そのまま顔を背けた。彼女は赤ん坊にミルクも母としての愛情も与えようとしなかった。家族はみんな心配になった。他の全部のラクダと同様、この赤ん坊ラクダは僕たちにとって大事だった。それが僕たちの生き方だった。
p 107
続く数日間ずっと赤ん坊ラクダは母のミルクと愛情を求めて鳴き続けた。赤ん坊は何度も母に近寄ったが、母はいつもそっぽを向いた。あるとき赤ん坊は母を追いかけたが、母は砂漠の中に駆けていってしまった。赤ん坊はミルクと愛情を求めて鳴きながら後についていった。
「助けないと死んでしまう。もうフースを使うときだ。」母が言った。フースとは音楽によって家畜たちに話しかける儀式である。けれども僕たちのキャンプには、儀式のために二弦ギターの一種である馬頭琴を弾ける音楽家がいなかった。
家族会議で、誰かが音楽家を探しに町に行くことが決定された。町は僕たちのキャンプからラクダでだいたい半日の距離だった。
p 109
「僕が行く。」親に言った。家族のために、白ラクダのために何かしたかった。そのうえ僕は一度、父と町に行ったことがあった。それからウグナが言った。「僕もドーデーと行く!」彼は単に町に行きたがっているだけのようだったが、少なくとも旅の道連れにはなるだろうと考えた。
ウグナと僕はラクダに乗って砂漠に出た。砂嵐が近づいていたので急がなくてはならなかった。赤ん坊ラクダを助けることに責任を感じていた。
旅は数時間は順調だったが、すぐ道に迷った。ある家族のキャンプに出くわした。彼らは電線をたどって町に行くよう話した。ついに夕暮れ前に町に到着した。
p 110
ウグナと僕はまずおばを訪ねて父の言葉を伝えた。彼女はフースの儀式を執り行うことのできる音楽家を見つけるために僕たちを町の音楽学校に連れて行った。ある 1 人の男ができるだけ早く僕たちのキャンプに来ることに同意してくれた。
町の生活は僕たちのものとはずいぶん違っていた。電気や水道があった。通りは夜でも明るかった。市場でアイスクリームや洋服、自転車、オートバイを見かけた。とりわけテレビはウグナを魅了した。僕は任務をやり遂げるためウグナをテレビから引き離さなければならなかった。彼にはアイスクリームを買ってあげた。彼は大いに気に入った。
僕たちはおばの家で一泊し、次の朝早く、町を出発してキャンプに向かった。
p 111
翌日、その音楽家は僕たちのキャンプに到着した。僕たちはミルクティーを入れて彼を歓迎した。その後、フースの儀式が行われた。母ラクダと白い赤ん坊ラクダを砂漠に連れ出した。音楽家は母ラクダのこぶに馬頭琴をかけた。家族はみな何が起こるのか見守った。僕には馬頭琴が風を受けてかすかな音を立てているように思えた。
p 112
しばらくして音楽家は母ラクダから馬頭琴をおろした。母が歌いながら母ラクダの首筋をさすっているあいだ、彼は馬頭琴を弾いた。彼らはゆっくりと甘い歌を弾き、歌った。まるで母ラクダに「もうお前は母なんだ。赤ん坊の面倒を見なければいけない。」と言っているかのようだった。母ラクダは聞いているように見えた。奇妙なことに、彼女の目から涙がこぼれ始めた。彼女は泣いているのだった!赤ん坊ラクダはゆっくり母ラクダに近づいていった。彼女は赤ん坊を見つめ、においをかぎ、自分の下に押し込んだ。ついに母ラクダは自分の赤ん坊を受け入れたのだった!
ゲルに戻って僕たちは祝った。僕たちが歌を歌い、母ラクダが赤ん坊ラクダに乳を飲ませているあいだ、太陽が広くて寒い砂漠の向こうに沈んだ。生命と自然が秩序を取り戻した。 /
Categories : EXCEEDⅡ 08

誕生日‼



今日は、ある人の誕生日です(^∇^)

そう、

今日誕生日なのは、


俺様だ~(^з^)-☆

あとタマちゃんも誕生日

iPhoneからの投稿
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>