水着姿で日韓国交正常化

水着姿で日韓国交正常化

日韓国交正常化がなされたのは1965年です。
日本と大韓民国が基本条約を結んだ年です。
日韓の歴史を考える時に、第2次世界大戦以前の状態を知らなければなりません。

日韓国交正常化がなされたのは1965年です。
日本と大韓民国が基本条約を結んだ年です。
日韓の歴史を考える時に、第2次世界大戦以前の状態を知らなければなりません。
2005年に日韓国交正常化40周年を祝う式典が模様されたのですが、そのことの意義をどれだけの人が知っていたのでしょうか?
ここで日本と韓国の国交について考えてみましょう。
1965年以前は日本と大韓民国の間には国交がありませんでした。
それまで、韓国併合など日本が大韓民国に行ってきたことは大韓民国の人たちにとっては屈辱的なことでした。
反日感情が強かったために、国交樹立までかなりのトラブルがありました。
日本と大韓民国が直接話し合いのテーブルに着くことは難しかったため、仲介役としてアメリカが入った形となっています。
結果的に日韓国交正常化によって日本、韓国、アメリカの結びつきが強くなったのです。
条約締結当時、韓国は経済的な面で十分ではないものですでした。
しかし、日本は高度成長が始まろうとしていた時期であり、国交正常化によるメリットはそれほどなかったと考えられます。
しかし、韓国を植民地化していたと言う国際社会からの非難を払しょくしたいと言う思いから国交正常化を進めたのです。
本来であれねば対等、または日本の方が優位に立てるはずでした。
しかし、過去の歴史を引きずっているために韓国にかなり譲歩した交渉となったのです。
日本と韓国の条約締結により、朝鮮半島には韓国政府が唯一の合法的な国家であることを承認することとなっていますよね。
私たちが知っている歴史と実際の歴史については異なっている場合もあるのだと痛感する事柄なのです。
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金大中事件と日韓国交正常化の関連性について考えてみて下さい。
もちろん、日韓国交正常化は1965年であり、金大中事件は1973年のことですから直接的な繋がりは無いでしょう。
しかし、日韓国交正常化後の韓国がどのようだったのかを知るために金大中事件の背景を知ることは有益なことなのです。
日本と韓国は国交樹立によって、交流が深まりました。
当時の金大中は民主主義の活動家として広く世界に知られる存在となっていたのです。
それに対して大韓民国国内の政情不安によって、金大中の生命が脅かされる状況にありました。
日本国内で金大中を殺害しようとする勢力があったとされているんです。
在日韓国朝鮮人の一部のグループがその役割を担っていたと言われています。
そして日本のやくざとの結びつきもあったと言われているんですね。
幸いにして金大中は助かり、のちに大統領となりました。
日韓国交正常化によっては日本と韓国の間に信頼関係が生まれたと、単純に考えることはできません。
国交正常化は大韓民国政府に取っては日本から経済援助を取り付ける手段として利用されたのではないでしょうか?
そして、日本政府は戦後処理の幕引きを図ったのです。
その結果として、建前上は日本と大韓民国は友好関係にあるんですが、腹の中では信頼していないといったことになるのです。
もちろん、時代が変わり、政界の顔ぶれも変わっていきますから、いつまでも過去を引きずっていくことはありえないでしょう。
金大中事件の記録を見るとまるでサスペンス映画のような展開です。
自衛隊によって金大中の命が救われたのだと考えてみると、すごいシーンだったのだと感心してしまいますね。