今朝は近年にも憶えがないほどよく眠れた。この十年余、薬害の影響で昼夜逆転の生活をしつつ、当然、疲れた、休みが必要だ、と繰り返して言いながら、疲れを溜める一方の生活をしてきたが、その疲れがとれたような安眠だった。きのうは高田さんの命日だった。きのうの間、そのことは繰り返し思い出しつつ、その都度忘れていた。ぼくは、何十年も前の高田さんの葬儀の日にも、会場に赴く途中で、生きていない高田さんと対面してどうするのだ、大事なのは生きていた高田さんだ、と思い直して、引き返したような人間だ。だが、昨日は、高田さんのほうから、宜しく頼む、と言ってきてくれているような気がした。ぼくも、日課のことは忘れて高田さんに捧げる(集中する)日を週一日つくろう、と思った(毎日の日課はそれと両立するほど軽くなく、これに引きずられるなら、ぼくも何のために生きているのか分からなくなる)。

 

 

欄のテーマ枠に、「高田博厚 芸術論」と、「高田博厚と芸術」の二つが設けられている。後者は、「「高田博厚」」とあったものを、きょう改めたもので、高田博厚自身を語りたいが、それでもなおさら高田さんと芸術との根源的関係を語ることになるだろう、という思いからである。

 

思索性が如実に現れている高田さんの彫刻は、彫刻という創作領域そのものが沈黙を本質とするものだけに、逆説的な、言葉にすれば無限に多弁な特質をもつ彫刻である。言葉になったときの緻密さが勝負であるような。そういうものをかれの彫刻そのものが孕んでいる。そういう制作がかれの生そのものであった。だから「神」が感ぜられるまでに至る彫刻なのである。この神は善悪を超えた、「美」としか言えないものであろう。(高田さんが彫刻家であるに先立って思索家であり、生涯、物書きであったことは、必然だっただろう。頼まれて書いたとはいえ、動機が不断に与えられたこと自体が、書くことが宿命であったことを物語る。)