初再呈示

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優しさは、生のままではひとつの弱さなのであるが、ほとんどの者はじぶんの優しさを認める段になると、自己陶酔的に悦に入る。ほんとうは極度に自己中心的で押しつけがましいその人間が。そして、その弱さの罰を受ける。思索的な人間は、他を圧迫するか甘やかすかである。聡明な人間ほど、じぶんを疑問視することを知っているので、他からの突っ込みをその場では許したり、他を甘やかす結果となる。一般に他者というのは同様に聡明ではなく、機会あれば打ちかかってくる暴力的な存在である。こうして、哲学の祖ソクラテスの細君はとんでもない暴妻として歴史上有名であることの理由と教訓も理解されるのである。聡明なかれは、聡明ゆえに甘やかした。この世でのその報いをうけたのである。 

 

 

 

 

ぼくはよく知っているが、ものをかんがえるのも中途半端な人間ほど、押しつけがましく独善的なものはない。中途半端の敷居を越える人間とは、自己反省を真にできる人間であり、これが聡明であることの始まりである。そういう人間は何人いることだろうか。そういう人間でもこの世では陥穽があることを、ぼくはここで言ったのだ。