昨日のように一年ぶり

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高田さんのことを思ったら、身内がどうのこうのなんて何てつまらないことだろうと気づいた。

 

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ぼくが日本の人間意識から解放され、ぼくの自己同一性を肯定できたのは、まったく高田先生のおかげである。こう言っただけではまだぼくの言わんとすることが伝わらないであろうか。ぼくにとってはこの一言で充分なのであるが。このことについて、ぼくのなかにきょう、先生への感謝の気持が起こったので、ここに記すのである。この一言を説明することは、この欄全体が為していることである。先生は、人間を人間そのものへ解放してくれる。人間の人間への従属、これが日本の特性であるが、これから解放してぼくをぼく自身へともたらしてくれた。一般に個人主義といわれるものの意味を、自分のこととして理解させてくれたのである。理解は魂の力である。魂は神聖なものであって、必然的に形而上次元に差し向けられている。この結晶する思いが「神」となる。「神」は、人間に必要なものである。そして、純粋な人間の愛、自分の愛が、何であるかを、この形而上志向のなかで知る。

 きょうのはじめにあたり、この感謝をしるす。 この気持がなぜきょう あらためて忽然と、自然と、涌いたのか、それはたぶん、ぼくだけが察しておればよいことである。