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外の世界は虚偽で、内の世界のみが真実だ、ということを、ギュスターヴ・モローは確信していたが、このことを集合容喙現象の経験でぼくは感知していたものの、いまやこの確信を、人間として生きている人間は、みな有するようになっているはずだとは、たいへんな世界になったものだ。いったいどういう力が、この世界的な虚偽を強いているのだろう。勇気をもってこの虚偽を拒否している国がないではないのだが。 

 

 

このことを「モローとルオー」の枠のなかで書くのは、この(モローの)確信のように(このことを)思い定めることで、個における自己同一性を確保できると思うからだ。モローの弟子であるルオーもこの確信に生きていた。この確信の真実が、いま、ひじょうに先鋭化してあきらかになっている時代だと気づくことは、おおきな意義のあることである。

 

 

人類の智慧そのものが、太古から、このことを諭してきたのではなかったか。