初再呈示
- テーマ:
- 自分に向って
男女平等という発想について
ぼくは男女平等を理性が命じるものだと思う者の一人であるが、同時にこの理性の命じることは、どこか釈然としないものだと思う者でもある。何が問題であるかというと、真理を言う者が男性であろうと女性であろうと構わないのに、強いてそこに男女平等を原理として立てねばならないというのは、現実にたいする理性の前のめりの態度が隠されていること、これが問題なのだ。ほんとうに真理を言う女性が、不当に扱われることは、無い、とぼくは思う。現実には、殆どの女性の言うことは、人格的に承服できるような真理ではなく、表面だけきれいな理屈なのである。
そして、男女平等の名の許に理性が強要するのは、この種の理屈を承服することなのである。つまり、理性そのものが、この種の理屈と同次元のものなのである。 そのような理屈を受け入れてぼくは長年苦しんできた。もうぼくはそれを受け入れず、「女性は理屈を言うものではない」と簡潔に言うことができる。 理屈から全く離れて生きている尊敬できる女性にこれを言うことは無論全くありえない。
理屈を振りまわす女性は、けっして幸せにならない。男は女性の理屈にいかなる価値も認めない。尊敬すべき女性の言葉は、理屈の言葉ではなく、真実の言葉である。真実の言葉を発する女性は、いるにはいるが、きわめて稀である。
こういうことを強調するのも、長年、男の浅薄さを矯正する存在としての女性に期待してきたのに、失望することが余りに多かったからである。