初再呈示。昨日、二度接続された。 じぶんでいま読み返しても興味深く、よく明晰に表現されている。 この世の裏側で何が行われているのか、われわれの空間的理解力を超えている。 だからマルセル的反省で探りを入れる意味も、大いにある。 こういう非日常的現象を、秘密裡に開発された人間の科学技術のみに帰してしまおうとするのは、強引にすぎると、ぼくには思われる。そういう姿勢そのものが、問題の現象の原因の一端(一面)を明らかにするために戦略的に敢行されているのなら、理解と支持もまたありうるけれども。

 

 

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集合容喙(「集団ストーカー」)被害では周知の現象だが、「思考盗聴」と言われている現象について、いままでぼく自身の経験と見解を述べなかったように思う。「思考盗聴」というどぎつい用語をあまり使いたくなかったからだが、ぼくは、「イメージ盗視」まで存在すると思う。そしてこれは「思考盗聴」のなかに一括できる。だから、ぼくとしては、被害者の間で周知のこの現象を、あく抜きをして、「人工的思考透視」と呼びたい。ぼく自身の経験での直接的感覚から、この「人工的思考透視」は存在する、と思う。なぜなら、そこには、偶然の一致を超えた人為的で不自然な符合が、夥しく感覚されるからである。例えば、ぼくが以前或る年配の知人に書いた全くの私信のなかで、あれは書かないほうがよかったかなと後で思ったので強くぼくの中で反復されて憶えている文言が、その人とは全然関係や連絡のありえない別の昔の知友からの電話で、思わせぶりにそのまま繰り返される、という経験をぼくはしている。この種の経験をぼくは夥しく集中的にした時期があり、ただの偶然の一致に、ぼくが「思わせぶり」を主観的に読み込んだ、とはとても思えないのである。何かのシステムか力が、ぼくの現在の思考も過去の思考(すなわち記憶)も透視した上で、その情報を他の人間に吹き込み、ぼくにたいしてわるふざけを仕掛けている、という按配だ、と ぼくのほうでは解するしかない現象を、その頃多量に経験した。この意味するところは、このシステムあるいは力は、ぼくを思考透視するのみならず、ぼくが過去にとにもかくにも関わった人々に想念伝達をし、その思考を操作することまで出来る、ということである。事の重大さがおわかりいただけるであろうか。いま、そういう世界になっているのである。大方はそれに気づかないか、気づいていてもこの想念飛来を いわば楽しんでいるという、状態だろうか。 

 

記しておけるうちにと、急ぎ書いた。

 

 

 

 

 

 

#集合的容喙現象#思考透視