主体性の信仰だけでなく、間主体性の信仰をかんがえれば、こう自覚しなければならない:
甘えることもできるのがほんとうの自立である。
そうでなければ自立志向は対立を生む。
正しく自立するのは大事だが、こころのなかで甘えるのもよい。
甘えを否定的にのみとらえるのは、どうやら間違いである。
甘えは愛の一本質面でさえあるだろう。
このようにして、神は自立の相関者であるだけではなく、まさにその相関者性を通して、他律(正しい甘え)の相関的結節点でもある、といえそうである。
神は自立と他律の結節点である。
自立によって罪や無慈悲は起る。じつは負の他律動機によって急き立てられている、引き裂く贋(にせ)自立なのである。
弱さも 神からの甘美な美と愛の賜なのである。