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[PDF]創立20周年記念特別号 - 奈良日仏協会 より
彫刻の命令
野島正興
この春、知人の結婚式に出席するため大阪市公館を
初めて訪れた。新婦は作曲家。友人たちのソプラノや
バイオリン演奏で会場は幸せのメロディーに包まれて
いた。
宴のあとロビーに出てみると、ソファーの近くにふ
と懐かしいブロンズ像が置かれている。
La Baigneuse「水浴」。両手を後ろに組んで立つ裸
婦像。彫刻家・高田博厚(たかた ひろあつ)の作品であ
る。
昭和52 年夏、NHK盛岡に勤務していた私は、知人
の誘いで北上市の北上画廊を訪れ、「高田博厚展」を鑑
賞し、ここで初めて「水浴」に対面。ほどなく高田博
厚氏ご本人が画廊に姿を見せ緊張感が漂った。
初めてお会いする高田さんは76 歳。小柄で白髪、
終始柔和な表情。そして、時おり見せる、押し込むよ
うな眼光の鋭さが印象的であった。
高田博厚は石川県出身。昭和6 年に渡仏し、戦前、
戦中、戦後を通じてフランスに滞在。昭和32 年に帰
国した。この間、フランスの哲学・文学・芸術を代表
する人々と交友し、思索の造形とも言える肖像彫刻を
制作した。
マルセル・マルチネ(詩人)、ロマン・ロラン(思想
家)、アラン(哲学者)、ジャン・コクトー(詩人)、シ
ャルル・ヴィルドラック(詩人)、ジョルジュ・ルオー
(画家)はその代表作であろう。
北上画廊での高田さんの言葉は初対面以後、何度も
反芻しているので忘れることがない。
「例えば肖像彫刻。ただ似ているだけでは、あなたが
あなたであってあなたでない。こんなものは彫刻では
ない」
「彫刻には彫刻の命令がある。これにそむいて何もで
きない」
彫刻の命令。
私には不思議に響き、今なお響き続ける言葉である。
高田博厚氏(右)と談笑(昭和53 年3 月)
高田さんにお会いするまで、私はフランスについて
の関心はほとんど持たず、フランス語を学んだことも
なかった。だが、その後転勤した長崎では、32 歳にし
て初めて「NHK ラジオフランス語講座」を聴いた。
更に、次に勤務した松山、徳島、奈良ではそれぞれの
地で、日仏協会の設立発起人となり知友を広げること
になった。
盛岡を離れてからも、私は何かの時は高田博厚の著
書を手にした。彼の自伝的著書『分水嶺』には奈良に
住む者にとって興味深い一節がある。
法隆寺の国宝・百済観音についての私の興味は、高
田博厚のこの読書体験がなければ、その造形について
特に意識せずにいたかもしれない。
平成9 年10 月、私は東京のニューススタジオで、
百済観音の知られざる明治の修理をテーマとした取材
「百済観音微笑みの秘密」と題した12 分間の全国放
送を行った。そして、ほぼ同じ時期に、百済観音は飛
鳥時代の造像以来、初めて海外に出て、パリ・ルーブ
ル美術館に展示されたのである。この偶然性はまこと
に不思議な巡り合わせと言うほかない。
ところで、今回、この奈良日仏協会創立20 周年の
記念原稿を書こうとして、久しぶりに『分水嶺』を開
いてみた。すると、高田博厚がフランス滞在初期の昭
和9 年、ロマン・ロランやアランなどの他、「日仏協
会」から資金の提供を受け、34 歳で亡くなった悲劇の
詩人Léon DEUBEL(レオン・ドゥーベル)の肖像を
制作し、作品が故人の生誕地フランシュ・コンテ州ベ
ルフォールの公園に設置されたいきさつが語られてい
る。「高田博厚」と「日仏協会」がつながったこの喜び
を何と表現しよう。
いずれ奈良日仏協会主催、東京日仏会館や高田作品
の多くを所蔵する福井市美術館との共催で、私はこの
レオン・ドゥーベル像を訪ねる企画を持ちたいと夢を
広げている。これまた新たなる「彫刻の命令」である
のかもしれない。