初再呈示
- テーマ:
- 自分に向って
タルコフスキーとレムは、「ソラリス」の映像作品化の際、喧嘩をしたそうだ。それは、作品というもの(どういう種類のものであれ)の受け取り方の多様性を、原則として認めているならば、鑑賞者にとってはあまり大きなことではない。かんがえる人間は、鑑賞する対象に、じぶんのかんがえに相応(照応)するものを、感知するのだから。
『 観察は正確で具体的であるほど、それだけユニークなものになる、反復不可能なものであればあるほど、それだけイメージに近づく。人生はどんな虚構よりも幻想的だということについて、ドストエフスキーは かつて実に正確に語った!』
タルコフスキー 「映像のポエジア」(Sculpting the Time)161頁
ぼくは、タルコフスキーとレムが根本的に違う方向を向いているとは思わない。どちらも、不気味な他者存在である世界に面しているという状況の緊張のなかで、「希望」の「奇蹟による実現」を志向しているのだから。両者の違うのは、各々の生きてきた土壌的経緯であり、これは歴史性の相違として仕方ない。ロシア(母なる大地)とポーランド(被征服の悲劇)では。