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政治とメディアと憲法について 

集約された意見というよりも覚え書きとしてお読みください:


戦時メディアに公平を期すのは、基本的に無理である。

だが今回は、中枢の政治家は事実情報によく通じているはずだから、国民にそれを分与してほしい。公平な報道をメディアに指導してほしい。  


同盟国の意味は、紛争時に味方することが予め決められていることであり、予め公平な視点を放棄することである。ここから、同盟国に報道の自由はないことまで基礎づけられる。そして、平時と紛争時の境界も、同盟国にはない。同盟国は従属国の別名である。


政治という、もともと多方面からの利害得失が衝突し合い、各々の利得を主張し合う場において、無私公平に双方の言い分を考察するなどということが、冷静にできるはずがない。情報もその上に作成されている。 憲法も、人間のつくるものではないか。しかも、政治にかかわる人間がつくるものではないか。 


日本の憲法に天皇は要らない。それとはべつに、歴史の厚い日本が、米国のような新参国に従っていることは、日本人の誇りが許さない。インドが英国から独立したように、日本は実質的に米国にたいして独立自主を確認させるべきである。


だいたい、日本人は、政治家もふくめて、憲法をつくれるほど人間意識が成熟しているとは私は思っていない。国柄憲法はだめである。普遍的人間意識に拠るのでなければ、憲法をつくるべきではない。その普遍的人間意識が日本人ははなはだ未熟だと私は言っているのだ。未熟にさせているのは、皇族や天皇が表に出て来る国の体制である。人間は、人間であるかぎりにおける平等という本質をもっており、これが普遍的人間意識の基である。いわゆる天皇制は、これと真っ向対立する。畏敬の持たれる象徴天皇は、平成で終わったと個人的には思っている。日本の憲法をつくるのであれば、いわゆる天皇制から独立した、人間宣言であるべきである。