個人の良心の自由を保護することを国家の意味の第一のものとする、森有礼の国家論と不可分のものである彼の教育論において、鍛錬主義が説かれるが、この鍛錬主義は、彼が実業を国の戦争力の基礎と見做す見解とともに説かれているものであることを見るとき、何と自己矛盾しているものであることだろうか。国民を兵士とすることを目的とすると言ってよい鍛錬主義が教育の場に持ち込まれるとき、人間の魂を損なう教師の言動を公認するものとなることは、言うを俟たない。これは今日まで続いている、日本の教育現場における、期する成果のために魂を犠牲にするという、深刻な人間問題である。それを日本の根性主義と云う。 

 

 

 

現在、個人の意識のほうが、為政者や教育者よりも遙かに進んでいるのだ。国民は、国家や国体、教育に、つき合ってやっているにすぎない。為政者や教育者は、いつもそれを忘れてはならない。