初再呈示  これも重要な観点 

 

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動物に狂気はない。狂気は、意識を本質とする人間にのみある。だから、狂気は意識によって生じるということに気づかないのはおかしい。狂気は、意識にとって感知されると同時に、意識のなかに存在する。意識がなければ人間は狂っているも同然であるが、意識そのものほど、狂いを感じさせるものはない。意識の消失と、意識の過剰の、二つの狂気の次元があるように思われる。むくつけき不純を感じさせるのは後者のほうである。すべての真理は、意識のなかに保たれると、真理の透明さを失い、濁ってくる。それに気づかずに得々とするのはすでにひとつの狂気である。 

 

 

狂気は、社会的存在であるかぎりの人間において存在する。社会は意識がつくっている。狂気は、意識に耐えられなくなった人間の叫びであり得、まさに意識から生じたものであり得る。意識そのものは自立できない。意識は、さしあたり「自然」として現前するものを、みずからのうちに取り込む必要がある。意識は、「超越」する必要があるのである。超越するものをもっている人間の社会的正常態が「文化」であり、超越するものを等閑に付して「内在」に充足しようとする傾向をもつ人間の人為的な社会的正常態が「文明」である。