初再呈示  これはその頃の説ではなく、これを書く以前からの一貫したぼくの認識である。 


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ぼくの集合容喙現象経験がぼくの思想のなかで占める意味を過小評価してはならない。この経験は思想そのものではないけれども、ぼくの思想の立つ境をはっきりさせてくれた。 そのなかでの大事なひとつの教訓が、いわゆる天罰のいいかげんさである。もし、じぶんの境涯を、どういうじぶんの罪の故の罰なのだろうか、と思おうとするときがあるなら、いわゆる天は、すべてを知っているようでありながら、その知による現象操作は、きわめていいかげんであることを、こころに留めておいてもらいたい。天の罰ではないかと思えるものも、本質はフェイク罰でしかない。コンピュータの理解力が所詮は機械のものであるのと同じ浅薄さを、いわゆる原因結果の法則も、もっている。 

 

天の本質は、人間を相手にふざけることである。 ぼくの立場は、だからといってわれわれが天のようにふざけてよいことにはならない、というものである。