親は子を育ててくれる者として、その恩ばかりが、特に日本では思考停止的に強調されるが、子の魂を最も深く傷つけるのは、親である者である。親の子への愛情も、理性と知性を欠く場合、仇にしかならない。人間のエゴイズムは、愛情のなかにこそ入り込んで巧妙なのである。志賀直哉が『和解』を書いて親子間の葛藤とその克服をドラマティックに描いているが、いかにも日本的でまだ甘いという印象を残している。子を持てば親の気持が解る、式の感情論法に、まだ日本は留まっている。いまの社会自体が、それでは済まないことにようやく覚醒しはじめた。社会の基盤である結婚そのものが、それによって精神的なものが犠牲にされるようなら馬鹿馬鹿しい、家庭を持っている者がうらやましいとは全く思わないと、知己の例を挙げながらきっぱり強烈に断言した女性をぼくは知っている。彼女は寛容で良識にみちたカトリック信徒だった。日本の学者のように、子供を持ちませんか、世界観が変わりますよぅ、などと、精神性のかけらもなく無恥に馴れなれしく他に言う知性崩壊者は、どう審判されるだろうか。まことに、学のある者ほど魂がなっていないまま口をきくのが、かわらぬ日本の世相である。