このところ、抗精神病薬の不当投与によって異常な状態となったぼくの身体をもって生きていることの〈慣れ〉のために、自分が被害者であることを忘れがちになっている。身体異常でも健気に生きていることの半面が、この〈慣れ〉なのである。かつては文章も書けなくなっていたのが、敢えて文章を書いてみようとチャレンジして始めたのが、この電子欄(ブログ)なのだ。そしていまのぼくが、初年に書いた自分の文章に感心している。ヴァレリーやヤスパースの原文翻訳までしたのだ。いまのほうが疲れている。このあたりで生活習慣を改めよう。(夜中が落ち着いているので、朝夜逆転の生活になっていた。) 

 

 

 

 

ぼくが集合容喙現象とよぶものは、世のなかにあいかわらず存在しているようなのを、報道などで知ってうんざりする。いまの日本社会は、まだ、この種の現象にたいして適切な態度をとれるほどの見識にも至っていない。