ぼくは日本の私立と国立一期を現役で両方受けて両方受かり、私立のほうへ入った。そこで教授たちから相当評価されていたが、ぼくの実力を形で実証するために、パリ大学(第四:ソルボンヌ)で博士号を取った。ヨーロッパではドイツの大学へ先ず行って、ドイツには文化的に住めないと判ったので、フランス語を独習してフランスへ渡ったのだ。ぼくの「転機」だった。ドイツでもフランスでも、持病に苦しんでいたぼくは、両方の病院で手術を受けている。普通なら音を上げる身体からの妨害を苦しみ凌ぎながら勉強を敢行した。最初ドイツの大学で博士を取るつもりだったが、フランスで取ることになった。博士号は内容(成績)が大事で、ぼくのは「優(トレ・ゾノラーブル)」。教授たちは高く評価してくれた。ぼくの少し前に、同じ哲学者(メーヌ・ド・ビラン)を主題として、同じソルボンヌで同じ教授に就いて博士を取った京都大学出の年配留学生がいた(日本で学職に就いた)が、「良(オノラーブル)」(可は無い)で、ぼくのほうが評価(成績)は高かった。フランスでメーヌ・ド・ビランの権威である、ぼくの論文審査員のひとりだったフランス人教授は、「私もトレ・ゾノラーブルだったよ。」とぼくを説得、あるいは称えた(その上に特別賞「フェリシタシオン」があるのだが、めったに授受されないものだそうだ。外国留学生には無理なものだろう)。意識したわけではないが、〈競争相手〉を凌駕することで、ぼくの実力実証に花が添えられるよう、天は仕組んでくれたのである。
実力の開花には、時というものがある。
フランスなどで外国(とくに日本)からの留学生が優秀な成績を修めることがどれほど大変で、真の実力がないと不可能であるかを、日本の浅はかな無教養者は知らないので、ここで教えたのである。 じぶんが取れると思っている者はやってみるがいい。向こうで通用する実力の無い日本のペーパーテスト合格者などは、向こうの本物の壁にぶち当って弾き飛ばされるだろう。