昨夜(きょうの未明)の独談の続きとして、ぼくははっきりと言う。各自の人間らしい生活を犠牲にしてまで、コロナ予防の生活をする必要はない。スウェーデンの対策の根本には、この態度があるだろう。さすがは文化的権威の国である。 決断しよう。 そして国は、個々の人間の決断の結果と運命をともにする覚悟をもつ。いまでもそうしているはずだ。それをあらためて確認しよう。けっきょくは個人の選択、と云うのは、そういうことである。国は社会的責任として様々な奨励策を国民に提示するだろう。それをどこまで生活で採用するかは、国民一人ひとりの問題である。人間生存の一面のみを絶対化する他国のやり方を、文化国たらんとする日本が真似る必要はない。
自分の生のかけがえのなさを自覚することが根本である。