職業の貴賤を問うことは、そういう問いそのものが実体を欠いているゆえに、無意味である。それは、職業の貴賤を否定することと同様に無意味な抽象論なのである。だから、ぼくは、職業に貴賤があるともないとも言わない。そういう議論そのものにかかわりたくない。いちばん大事な「人間」は常にそういう議論のなかにはない。ルオーの描いた「道化師」を思い出そう。道化師はこんなに立派だと言っているのではない。あらゆる人間には、神に面する時がありうることを、言っているのである。そういう人間への、ルオーの祈りなのである。 

 

ぼくは、人間に、卑しくなってほしくない。魂を卑しくする職業がもしあれば、そういう職業は無くなってほしい。教師も、政治家も、人間を卑しくする要素がある。しかし人間がまだ抵抗できる。人間の高貴さを強制的に無にする職業なら、社会的に無くすべきである。この本質点から、あらゆる問いはなされるべきである。経済上の職業の定義などから始めてはならない。倫理的本質を隠蔽するだけであり、これが最も忘れられている。