ぼくは抗精神病薬の意図的強制という不可解な事件によって、ぼくが産まれてから有していた身体とは別の、広範囲に変質した身体によって生きており、最初は絶望して三度首を括って自殺を試みたが果たせず、いまはなんとか生きてはいるが、どんなに新しい生活のあり方に慣れても、ほんとうの健常者の生活にはもう戻れない。慣れることで、健常者と同じ次元での生活関係を再び生きることができているような錯覚に陥ることが時々あるが、ぼくが安定した自己意識をもつためには、正常者とつき合いながらも、正常者のものではない自分の特殊な生命状態を、じぶんで忘れないように意識していなければならない。この生命状態の差異を常に忘れないことによって、健常者と自分との、いわば国境を意識しながら、この国境意識のゆえにこそ、健常者との正しい人間関係を、いとなむことができる、とぼくは思う。このことを、人間関係におけるぼくの正しい意識を設定するために、ここに書いた。以前の自然な人間関係意識は、もう取り戻せないのだから。

 

 

ぼくへの抗精神病薬の意図的強制は、明白に一つの社会事件であり、この事件に関係した者らは、この事件から解放されることはない。