人間は自分で見える世界がすべてだと思っている。すなわち自分の観点が世界の原理だと思っている。自分にとってそうなのはよいが、他者は他者の原理があって動いていることを認めず、他者に自分の観点と原理を押しつけるとなると、人格の戦争となる。人間間の不和はここからのみ生じると言ってよい。 人間の底が審判されるのはここである。 単純なことであるが、これを、本読み学者ほど、まったく克服できていない。 こんな人間を社会礼儀上「先生」と呼んでいるからいけない。 日本の学者は「人間」になっていない。 それで欧州の学者と付き合えているつもりでいる。 日本にも稀にいる「人間」とつき合えるはずがない。「自分」が出来ていないのだから。 

 威勢のいい言動をする日本の学者ほど、実体は、学生に甘えに甘えているのである。 

 

 

 

これはぼくが知ったことが言葉になったものである。誰にも遠慮する要のなくなった人間が、形になった真実を記しているのだ。