じつに然り。
リルケの孤独の探求の根源も 愛するものへの愛である ことを知るべきだ。
テーマ:自分に向って
この欄でも引用した気のするリルケの文章を、いま、ふと再読して(なぜならそこに栞が挟んであったから)、ああ、ぼくの路は繰り返し深まってリルケと再会する路なのだなあと感動している。リルケの根源的主張はぼくのそれなのだ。彼から影響を受けたとかそういう次元ではない。ぼくの根源からリルケが照応される。
『人間から人間への愛、これこそ私たちに課せられたもっとも困難なものであり、窮極のものであり、最後の試練、他のすべての仕事はただこれのための準備にすぎないところの仕事であります。』
「若き詩人への手紙」より
文章はずっと続くのであるが、ぼくの人生は報われたことを証されている。リルケはヤスパースよりも深い。
『何事にも初心者である若い人々は、まだ愛をなすことができません。彼らはそれを学ばねばなりません。その全存在を賭けて、彼らの孤独な、不安な、上に向かって打つ心臓の周囲に集中せられたすべての力を賭して、彼らは愛することを学ばねばなりません。
学習期はしかしつねに長い、閉じこめられた時期であります。だから愛することも、まだまだ久しいあいだ、人生の奥深くに達するまで――愛をなす人間にとって、孤独を、いっそう高度の、いっそう深化された孤独を意味します。さしあたって、愛することは、けっしてみずからを開き、与え、第二の者と一体となることではありません。(なぜなら、まだ浄化されていない者、未完成の者、まだ従属的な者の一体化など何になるでしょう――)
愛することは個々の人間にとって、みずから成熟すること、みずからの内部で何ものかになること、世界になること、相手のためにみずから世界となることへの崇高な機因であり、それぞれの人間に対する一つの大きな法外な要求であり、彼を選び取り広大なものへと招く或るものです。』
『 たえず私の経験したことは、互いに愛し合うということほど、むつかしいことはないということです。愛すること、それは仕事です。日々の労働です。そうとしか言いようがありません。
若い人々はそんなに困難な愛に対して準備ができていません。というのも、因襲が複雑きわまる関係を、軽いもの、軽率なものにしてしまおうと努めて来ましたし、そんなことはだれにでもできることだ、という外観を与えて来たのです。〔・・・〕 しかし考えてもみてください、自分自身を完全なものとして、よく整えられたものとして与えるのでなく、偶然にまかせて、出たとこ勝負で、こまぎれにして渡す、というようなことが、一体うれしいことでしょうか。投げ捨て引きちぎることにそんなにも似た献身が、一体よいこと、幸福、喜び、進歩などであり得るでしょうか。いいえ、けっしてそうではありません……』
同
Rainer Maria Rilke 1875-1926 (明治8~大正15)
「若き詩人への手紙」は1903-1908、リルケ28歳から33歳にかけ、書かれた。「彼の芸術と生き方に決定的な影響をあたえた二度のロシア旅行(1899、1900)、フランス彫刻のロダンへの師事(1902)」を、経ており、30歳にもならぬのに、人生の智慧に達し尽くした自己確立を果たした態度で書いている。他の大方は、一生かけても、こういう偉人の精神の青年期にも及ばないのである。そういうことをとくに日本人は痛棒のように覚えねばだめである。
(「マルテの手記」は、1910年に原稿がまとまった。)