重苦しい叙述が積み重なる「マルテ」のなかで、リルケ(マルテ)がペテルスブルクに住んでいた当時の、同じ住居内の隣人についての話が、まるでここだけ、ロシアの文豪の誰かが書いたような、いかにもロシア風な物語となっている。 

 

興味深く読んだ。エンデの『モモ』の原型のような経緯の末、「数字」で表現された「時間」の虚妄性を悟った人物が、今度は、地球の自転・運動の感覚にとりつかれる話だが、神経衰弱にしてもスケールが巨大で、かつ繊細。マルテをして、あんな良い隣人は一生いないだろう、と言わしめた。 ぼくも、もし、自分の感覚の孤立性を感じたら、こういう話を思いだそう。世界には、「変人」はいくらでもいるのだ。

 

 

リルケの、ロシアからの感化を、もっとよく知りたいと、あらためて思った。