こういうことを、思想集中型のぼくが書こうとは思わなかった。東京とパリを単純に比較はできないが、東京の街をよく表現している作画映像を観ていて、ぼくの生き経験して蓄積しているものを想起し、東京は重い、と思った。体温的なものの無い物質性が、人間を圧迫している。一方、パリは、やはりリルケがこの街を経験した頃は、現代人が東京を経験するのと同質のものが、リルケによって語られているが、ぼくには(というより超個人的に)東京とは異次元な空間として、「人間」の匂いがする。そして、石と鉄の街なのに、受ける感覚が、軽い。フランスは、科学技術的にも、日本を超える水準のものをたくさん持っている。本家はあちらなのだ。あなどってはならない。そして、この、「軽さ」、東京の「重さ」、この差は、人間が生活に向ける意識の差から生じていることは、うたがいないこととして、直観される。