「ヴァレリー 海辺の墓地」で、はじめて検索してみたら、ぼくの訳・註解が一番に上っていた(グーグル)。よく接続されると思っていたので、もしかしたらそういうこともあるかもしれないと推測していたのだが、なんとなく億劫で、いままで確かめなかったのだ。ぼくの訳・理解については、誰も何も言ってくれたひとはいない。訳も解釈も難しいのだろうか。ぼくは他と比較することに無自覚だから、自分のなかの明晰さしか知らない。訓練として、読むと同時に訳したのだ。訳す行為以前には読まなかった。読むということは理解することだ。そして訳が自ずから必然的に出来た。それが、この詩への手引きとして認められたのなら、ありがたく思っている。ぼくはヴァレリーの専門でも研究者でもなく、培ってきたじぶんの哲学思索があってその力の及ぶかぎり訳したのみだから。