リルケはやはり文章がうまいな、と思ってるんだけど、いまぼくは、パリをじぶんで経験して、再読してるんだよね。初回に読んだときは、描写から何を想像してよいのかわからなかったことを、思いだした。表現に感心するとき、自分も経験を蓄積させている。

 この箇所のような日常をきみが生きているのなら、回りがいろいろ言わないほうがいいかもね。 

 

 

「 僕はよくリュウ・ド・セーヌなどの通りの小さな店先を通りすぎる。古道具屋、古本屋、銅版画屋などの店が、窓いっぱい品物を並べている。誰もはいってゆく人はない。ちょっと見ると、商売などしていそうに見えぬくらいだ。しかし、店の中をふとのぞきこんでみると、誰か彼か人間がいて、知らん顔ですわったまま本を読んでいる。明日の心配もなければ、成功にあせる心もない。犬が機嫌よさそうにそばに寝ている。でなければ、猫が店の静かさをいっそう静かにしている。猫が書物棚にくっついて歩く。猫は尻尾の先で、本の背から著者の名まえを拭き消しているかもしれない。

 こういう生活もあるのだ。僕はあの店をすっくり買いたい。犬を一匹つれて、あんな店先で二十年ほど暮してみたい。ふと、そんな気持がした。」  

     (新潮文庫47-48頁)