どうして「実存と客観性」を読むのがこんなに辛いのか、分かってきた。これは「形而上日記」の「付録」であって、マルセルがその日その日に記した自分との対話である日記ではない。自分と自分自身いがいの、第三者への説明的配慮が入ってきている。そのために逆にこちらとしては気が削がれて内容に情熱的関心をもって入ってゆけないのだ。しかたないので最後まで我慢するしかない。ぼくは読むからには丁寧に律儀に読みたいのだ。 

 

 

 

 

 

 

別事 

 

これはまったく別事であるが、こういうことを皆おもうのではないだろうか:「じぶんにたいして無礼な者はろくなことにはならない」、と。大抵は自惚れからそう思っているにすぎない。ところがこの言葉(「じぶんにたいして無礼な者はろくなことにはならない」)は、すくなくともぼくに関しては相当妥当している。実際そうなったことを知った経験が多々ある。全部をぼくは知らないが、知った場合があるので、知っていない場合もきっとそうだろうと思って、気持を安んじていればいい、そう思う。自分にもっと自信をもとう。自分と繫がっている摂理をもっと信じよう。(随分過去のことを様々回想して、それへの気持を鎮静させるために、意識の転換として書いた。)