いま、この問題は、社会全体があっさり認めるべき時期に来ている。インターネットでの、そして日常生活での、報告と周知活動の蓄積が、おのずからそういう時期をもたらしているのである。 

 もういいころだな、と思い、先日、あっさり新聞に訊いてみた。すこしの気負いも必要とせず。 向こうも、すでにもう知っているような雰囲気で、やや逃げ腰ながら、とても自然で感じがよかった。 はたして、翌日、すぐ記事になったのではないが、現象に或る影響の兆候が感ぜられた。 とても敏感に反応するのだなあ、と思い、これまでの経験のいろんなことをかんがえ合わせた。 むろん、ぼくの印象であるが、この世にはいろんな情報連絡網があって、たがいにすべてつながっているようだ。 

 これも、みんなの さまざまな作業や活動の たまものであって、その上に、すこしの触発でも事態が動きうるような状況になっているのである。すべての活動はむだではない。 誰がお山の大将なのでもない。 

 個人の存在感は じぶんの個人生活を生きることそのもののなかにある。 

 

 

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