これを一言言おうと思っていた。現在、派出所で、集合容喙の周知紙が掲示を許可されたり、許可されなかった場合でも、警察官から活動への激励を受けたりするようになったそうであるが、この激励は、警察官自身の個人的意思というより、そういう指示が警察内部からあったのだという印象を受ける。つまり、内部ではそうとう認識が高まっていることの現われだと思う。 はっきり言って、ぼくも、国に、活動の後押しをしてくれるように頼んでいた。それはある程度以上しっかりと受けとめられている、と、ぼくは信じるようになっている。 政治というものは、混乱を避けようとすれば、単純に左から右へ、というふうにはゆかず、工夫と知恵を要するのは、古今で変わらないところがあるだろう。 活動する人間を信頼してもらえるような言動をとりつつ、ある意味で気長に、周知活動をなされたらよいと思う。 

 

それから、これは、余計なことをと思われるのを覚悟で言うが、周知紙を、もっとユーモラスなものにしていいのではないか。いかにもにくにくしい印象で、ぼくが薬害で敏感になっているからかもしれないが、あまり見たくない。それから、たとえ間接的にでも、鉾先が分かるような書き方を周知紙にすべきではない。 周知活動はぜひしなければならないが、まず周知が遍くゆきわたるように、そこは注意すべきだと思う。

 

いじょうはぼく個人の意見としておきます。