これは「孤独な散歩者の夢想」のなかで、ぼくの好きな、ルソー自身による逸話記録であり、印象に残りつづけているので、ここで記録・紹介する。ぼく自身が きわめてやりそー (このとおりではもちろんないだろう)なことで、読んでいて笑いと汗がうかんだ。 『悪鬼しか考えつかぬような、およそ不正不合理なシステムのなか』(ルソーの言葉、137頁)〔集合容喙としか思えない〕 で、彼の経験したことである。
『 二年前、ヌーヴェル・フランスの方へ散歩に行った折、僕はその先まで足をのばした。ついで、左の方向に行き、モンマルトルを一周しようと思って、クリニャンクールの村をよぎった。僕はただぼんやりと、物を考えながら、あたりを見もせずに歩いていたのだが、いきなり、膝をつかまえられたような気がした。見れば、五、六歳の小さな子が、力いっぱい僕の膝をおさえながら、しきりに僕を見ている。その様子がいかにもなれなれしく、あどけないので、僕は心を動かされた。自分の本当の子供だってこうはしてくれまい。と、こう僕は心の中で言ったものだ。僕はその子を腕に抱きあげると、気もそぞろに、何度も接吻をしてやった。それから、僕はまた歩みつづけた。歩きながら、何か物足りないものがあるような気がした。一つの新しい要求が、僕を後に引返させようとするのだった。僕はあの子とあんなにあわただしく別れてきたことが心に咎めてきた。あの子のあの明白な原因のない行為の中には、なにかしら、ばかにはできない霊感でもあるように思われた。つい誘惑にまけて、僕は引返した。僕は子供のところへ駆け寄ると、またしても彼に接吻してやる。それから、運よくそこを菓子屋が通りあわせたので、ナンテールのパン菓子が買えるだけのお金をやる。それから、何かお喋りさせようと試みた。僕はお父さんはどこにいるかとたずねた。子供は桶の箍(たが)をはめている男を指し示した。その男のところへ行って話してみようと、子供を離れかけたちょうどそのとき、僕は人相の悪い男に先を越されたことを知ったのである。僕をつけているように誰からか回された探偵とおぼしきその男が、父親に耳うちをしている間に、その桶屋のまなざしは、親しみの色を示すことなく、じっと僕に注がれていたのである。これを見ると、僕の心はたちまちしめつけられた。そして、さっき引返したとき以上に急遽としてこの父子のもとを離れた。しかも、さっきのようには楽しくない一種の混乱のため、今までのせっかくの気持を台なしにされて。それにしても、僕はこれ以来、あのときの気持がときどきよみがえってくるのを感ずるのだった。それで、またあの子に会えはしないかと、幾度かクリニャンクールを通ってみたものだった。でもそれきり、あの子にも父親にも二度と会わなかった。そして、今ではもうこの邂逅から、たった一つの思い出しか残ってない。それはちょうど、今もってときおり、僕の心底まで滲み入るあらゆる感動に似て、いつも優しさと悲しみの混じている、かなり激しい思い出である。』
「第九の散歩」より