「神」は、内的主体性の生の窮極であり、「創造主」は、主客分裂の意識が思惟する窮極である。  

 

この基本的な差異を、歴史上の著名な哲学者でも、曖昧に混同している場合が多いように思う。  

 

悪魔が跳梁跋扈するのは、この意識の隙を突いてである。 

 

 

この主題で述べることは、すでにこの欄で言っていることなのだ。それを収斂して現前化することが容易でない。  

 

 

 

いたずらな悪魔はいるぞ。それを敵視しないで楽しめるようになったらよい。人間ほど悪くはない。