人間がこの時間世界で本来的に生きようとすれば、当然、本来性の起伏という波を覚悟して引き受けて生き、努力しつづけなければならない。すなわち、本来性は持続されるものであるよりはむしろ反復されるもの、再獲得され続けるものである、ということである。その努力への忖度もなく、愛のない好奇心から他者に関心を示し、その都度の他者を評価し、その評価をいちいち表現してみせるとき、そのような者たちは すべて、他者の世界への容喙者なのである。 魂の阻害者いがいの何であるというのか。

 

 人よ、汝の罪を嘆け