あらゆるものが日本では窒息的で、芸術とか思想とか、文学とか騒いでいながら、皆流行的で「神」につながるものがまるでないとなげいて来た。私は「神」を訪ねて行こう。「変わらないもの」に自分が結ばれたい。自分に出来る、出来ないかは、自ら量り知ることではない。

 

『高田博厚著作集第一巻』”古いものと新しいもの”より  

 

 

この高田先生の言葉に触発されて、「神」とは、「普遍なる実体」という「具体的なもの」であることを確認する。それは「空」でも「無」でもない。人間がよほど軽薄でないとそういうものでは満足しない。窮極的なもの、根源的なものを、どのように思念するかは、じつに決定的なことなのである。「不動で具体的で普遍な『在る』もの」、これが「神」である。これにわれわれの魂は郷愁し、これ(との関係)によって、自分を規定しようとする。いかなる他のものによってでもない。芸術も思想も、この基盤なくしてはない。芸術・思想は、これとの関係にある魂を、人間の具体的な本質を、証するものである。 

 

「神」とは「変わらないもの」であると簡潔に先生は言ってくれた。この「変わらないもの」の意味は、われわれが全魂をもってそれを思念するときに了解されるところのものである。 

 

「変わらないもの」をもとめることは「愛」の必然である。タオルミーナとアクロポリスでの先生の告白「不動の『在る』もの」の意味をここから了解する。

 

 

ぼくは、高田先生の人生そのものに憧れていた。いま、共有する「神への想い」によって高田先生に関心している。