哲学とは、個としての人間が己れの人生経験と反省から達したひとつの信仰であり、筋が通っていればよい。 ヤスパースも自らの哲学を「哲学的信仰」と呼んだ。「わたしは信ずる」である。  

 

 

分量が限られているのだから、ヤスパースとデカルトに倣って、文章は意識して簡潔をきわめる。語らねばならないことは きりもないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

シェリングの言葉 

「闘いのないところには生命はない。」:「悪のないところには愛はない。」:「そうした闘い、悪の克服こそ、神の自己啓示の意味であり歴史の意味である。」

 

 

思弁は、動機の異なる最高存在への問を、その最高存在の二様態とともに、観念的に結びつけてしまう。

 

最高存在を思念するわれわれの側の意識態度の二様態こそ問題の核心であり、思弁的観念的にわれわれが反省するとき、この「意識態度の二様態」そのものの判明な直観がごまかされる。正確には、われわれ自身の怠惰によって、「判明な直観」・注意を、保たなくなる、放棄する、のである。 「観念的に先走る」ということの意味がここで了解される。