東京の学部学生時代、日本の心理学界のトップの一人の学者の講義を聞いたが、つまらないことを言う。そのなかで、鹿児島の県民所得がいちばん低いと言ったことがあった。それだけならさっと言えばよいものを、いかにも重大のように言うので、おぼえている。教室の中にその県出身者がいれば気のどくと思わねばならないという空気をつくって言うので、鹿児島の人は、こういう学者の話を聞くことこそ気のどくだなあ、と思って覚えているのである。じっさい、心理学者というのはこんなつまらん人間か、と、その学期の最後に確かめることとなった。それは措いて、年はずっと飛び、ぼくのパリ大学博士課程時代、たまたま住まいを借りた持ち主がフランス国立学問研究所(CNRS)の日本文化研究者であったことがあり、賃貸契約の際、フランスや日本のことを話した。そのなかで驚いたのは、フランス知識人の日本認識のなかで、鹿児島という地は、トップの重要度を持っている、ということだった。明治維新の原動力となり、日本を当時の列強に伍する国に仕立てた「大変な処」であるという認識なのである。たしかに世界史的にはそのように捉えられて当然だが、日本国内では何故かそういう歴史展望は不在である。どころか、先の心理学教授のような態度が一般的だろう。つまらない国になるわけである。彼我の意識差の象徴例と思い、思い出したので記しておく。