「シルヴィアに」と題されて書き始められたこの文章は、どのような現実経験によるものか、ぼくは探究したことはない。そういうことへの興味が無いのが、ぼくの本質なのである。魂に映り魂が語った真実にしか関心がない。このひとの文章に経験するものはそれなのである。


このひととぼくとでは 経験してきたこともちがう。そうであればいっそう、このように直接に魂の窓をみさせてくれることは ありがたい。


このひとの文章はなんと映像的な喚起力があることだろうか。ぼくはなんども、このひとの生涯を映像作品にしたいと夢想することがある。タルコフスキーやエリゼを自家薬籠中のものにしてさらに独自に超える力がなくてはならない。大正から戦前の無声映画時代の日本の創造力を復活させればそれができるだろう。ぼくにはそのセンスがある。かぎりなく重厚で濃密な作品に仕上げよう。



過去が現在を充実させねば人間は満たされない