古代ギリシア人は人体を模倣したのではない。しかしその造形は人体という自然に即することなしにはありえなかった。ここに「理想」と「実証」が相即不二であり、それを繫ぐものが「自然」であったということである。ロダンはこの古代の造形精神を掘り起こし、現代に復活させようとした。したがってそれはその根本態度を自ら力のおよぶかぎり実践し実現することであり、これに集中した。形の模倣はありうるはずはなく、古代の造形の根本精神を現代に復活させたのである。

「イデア」は 「自然」そのもののなかに存在し見いだされる。これは「眼の人」ゲーテが「原事実」(ウルフェノメーン)として確言し、カント主義のシラーが承服しなかったことでもある。


「自然に埋没する」ロダンにとって、表題や感情説明を超過した「本体である自然そのものとしての身体」が、文学的表衣を透過してすでに問題であったことをしめしているのが、「表題」を完全に取り去った基本実体である「歩く人」(L'homme qui marche)の存在である。

「私は人体という立派な建築を翻訳しようと努力した。」
 〔traduire:翻訳する;(思想等を)表現する〕