自然に埋没することこそ自己の解放であり、そこから「自然の形」が摑まれる。「形が動作のなかに隠れているから、形を把捉しなければならない」 という、アランの言葉を想起する。


 

 

 
 
 

自然の存在に自己を解放し埋没するなかで「自然から直接につかむ(うける)生命」、それが「真の形」だろう。 「生命」しか感動させない。芸術の「形」は「生きて」いる。
 
 
《自然はたいへんな重圧を持っている。 小さな工夫や概念では立ち向かえそうもない。その中に埋没する。それが自己の解放であった。》

 名文である。直接に解らなければならない文章だ。 芸術者は捨て身で「自然」と「対決」する。


上の文章すべてが、何度でも読み返し得、沈潜し得る。先生の文章はそれじたいが彫刻的作品であり、彫刻と同質の量感と奥行をもつ。けっきょく、人間は「人間」でしか勝負できず量れない。自ずから盛られる内実によってのみ。「思想」がいかに「経験」の土台の上にのみ現れうるものか、ここで実地に感得される。