彫刻の如きこの文章を彫刻の如く読者の前に置く。



 
 
 
 

 


 「人間性」すなわち「人間内部」と、「自然」との、「親密な調和」ということの意味を、「”一元的”であろうとする要求」と重ね合わせるとき、創造を実践する芸術家にはひじょうに明瞭である創造の核心が、ここで「自然」と云われていることの真意とともに、感知されなければならない。「自然」はなるほど風景や対象としても理解されるが、そこで理解されていなければならない「自然」は、「人間内部」の〈自然〉すなわち〈本性〉と、相即不二であり、そのいみで「親密な調和」にあるものなのである。この「一元的」境位は、その達せられることは大変な「仕事」なのである。

 

 
   



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覚え記

「直観なき思惟は空虚であり、思惟なき直観は盲目である」

美と思想はこのいみで同一質の「結晶」である。



 
 
 

「美の無限を求め追う信仰」
《「私はなにも発明しない。私は掘り出すのだ。それが新しく見えるのは世間が芸術の目的と手段を見失ってしまっていたからだ。……革新というけれども、それは遠い昔の偉大な彫刻の法則がまたもどってきたことである。……それを私に与えてくれるのは自然だ。私はギリシア芸術を模倣しはしない。古代彫刻をのこしていった人々の精神状態に自分をおこうとするのだ。」
 ・・・ここに彼〔ロダン〕の彫刻芸術に対する態度が現われている。》

「自然」とは、美を生む「精神状態」である。

そこに見いだされる「法則」は、創造行為のうちにあくまで感得されるのみの内的規範であり、けっしてこれを離れて客観的に(すなわち観念的に)提示される類のものではないだろう。




 
 
  

この欄の任の一つは、高田博厚の業績の紹介にある。これは同時にわたしの読書ノオトの記録であるが、この堅固な確信のみで書かれた文章は、それ自体、彫刻と同質の存在性をもつ「作品」でありかつそのようなものとしての「思想」である。そのようなものとして現物をここに呈示するよう、わたし自身によって促された。6.21




〔初 2016-06-20 00:50:25〕 



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 補遺 II (6.20)
:このわたしが、同時にこのようなことを書かねばならないことは、じつに腹立たしいことだ。それほどこの世はくだらない。勝手に自分達だけくだらなくしているのならまだよいが、次元の違う者まで巻き込む。滅ぼさねばならぬ。科学技術が愚者の手に渡るとどうなるか、その現実に既に直面している。

「自分の神」に関わっていられず他者に関わる者が、悪魔となるのである。

ぼくは「人間」の「知性」と「魂」のみを相手にしていたい。 ぼくが社会奉仕の意識をもって社会に敢えて言及するとき、それ自体がどんなに有益であっても、ぼく自身にとっては失敗なのである。


こういうぼくが自己犠牲的に敢えて「集合的容喙事件」について報告するとき、その苦衷を忖度し真摯に真に受けない者は、真の知性を有していない者である。


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ところで、しばらく放棄に近いかたちで離れていた この高田博厚「偉大な芸術家たち」に、いまやや唐突に立ち戻ってみると、ぼくの感応度、理解度が、以前の身体神経が正常な頃と比べても、増し深まっていると感じるのである。これがぼくには不思議に思える。感応力、理解力というものは、身体的健康とは関係がない、別の次元の力のようだ。この間、ぼくはなにをしていたのだろうか。能動的なこととしては、この欄を書きつづけてきたのである。それなりに瞑想しかんがえてきた。それがどういう作用を生んだのかぼく自身自覚していないのであるが、気がつくと感応力、理解力の深化を生んでいた。このいまの状態でである。感覚と知性を、あまり余計なことをかんがえずに練磨してゆけばよい。感覚(感じること)と知性(かんがえること)は、ぼく自身なのだから、「ぼく自身」を歩んでゆけばよいということである。 

〔勿論、時々、正当にも、狂いたいほど腹立たしくなるが(小人の怒りではなく、かつ、状態が尋常ではないから)。学の有無にかかわらず、良識ぶっている者ほど、逆であることも、いまよくわかる。〕





 
  

この書は、高田博厚の思想と観念を体系的に知るうえで必読のものであると あらためて思う。





羽田裕美「あの微笑みを忘れないで」PV - YouTube



いまだに発見がある。というより、気づくと、いままで自分はなにを聴いていたのだという、開眼がある。
勉強は、それ自体のためだけのものではない。注意力 理解力 感受力そのものを高め深め、未知の次元を発見する境位に自分をもたらす。

素人なりにぼくは懸命に、きみが自分を懸けた道の深さを、すこしでも多く気づきたいの。裕美ちゃん。

  
  
 




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大先生の文章なのだからもっと読めばいいのに。まあ、アメブロの一般読者の程度というのはそういうものさ。

ちゃんと読まないと あたらしい記事は書かないよ